日々の言い分481

今、人々は新型コロナウイルスにかかるかかからないかで騒いでいるのだが、本当に注意しなければならないのは「その先」のことである。今の状態が続けば、間違いなく景気が悪化する。生活が苦しくなる。そこにも注意を払わなければならない。

中国経済はもはや習近平からして「建国以来最も困難な公衆衛生上の事件」であると述べており、経済に大打撃を受けることを覚悟している。

日本は何も考えずに中国依存をしてきたのだが、そのツケを払わなければならない日がやってきたということである。いくら日本政府が「緩やかに回復している」と言っても、現実は変えられない。

景気が悪くなるのであれば、収入も減る覚悟をしなければならない。

お金を使わずに生きるしかない

新型コロナウイルスはいずれ収まるが、ダメージを受けた実体経済はすぐに回復しない。そうであるならば、ライフスタイルの縮小は必要不可欠になる。生活を質素にして、浪費を避け、手を広げていたものを絞るしかない。

「生活を質素にする」とは、別の言い方をすると「生活をシンプルにする」ということだ。「浪費をしない」というのも、同じく「生活をシンプルにする」ということだ。そして「手を広げていたものを絞る」というのも、やはり生活をシンプルにするということだ。

シンプルに生きるというのが、消費税と新型コロナウイルスでダメージを受けた社会で生き残るためのサバイバルなのだ。自分の生活と人生をより単純にしていく。できるだけシンプルに生きるのは当然のことだ。

「コロナ倒産ラッシュ」も起きそうな中で、見栄や体裁を気にしたところで仕方がない。きちんと生活防衛ができていないといけない。

効果的なワクチンがいつ開発されるのか分からない。そうであれば、消費税と新型コロナウイルスによってダメージを受ける実体経済を見越して、私たちはシンプルであることを意識しなければならなくなった。


上記の書き込みを読んで・・・


私は、すでに何十年も前から、シンプルな生活をしている。

というより、そのように、生きて来た。


老後の資金も、支援活動で使った。

後悔はない。

死ぬまで働き、そして、死ぬ時節には、死ぬのである。


毎日の生活は、大忙し。

何せ、調べることが、多々ある。

そして、一日、二度の食事は、自分で用意する。

それは、ある面では、気分転換であるから、楽しい。


食料の買い物は、安い店、例えば、野菜屋さんの、特売日とか、割引ものを買う。

それも、また、楽しい。


正規の値段で買うものは、本当に少ない。

だが、勿論、国産である。


中国、韓国産は、絶対に買わない。

だから、冷凍品は、買わない。

その一部に、確実に使われているからだ。


更に、外食は、しない。

もし、しなければならない場合は、客が来てである、良質な居酒屋に行く。

というか・・・

材料を見れば、解るのである。


海鮮ものは、私の得意である。

干物で好きなものは、アラスカ、ノルウェー産がいい。

勿論、国産は、実にいい。


この世に欲しいものが無いから、シンプルに生きられるとも、思う。

何せ、死ぬことが、救いであるから・・・


生活のための、最低のお金があればいい。

ガンになれば、自死が早くなるだけである。


私の希望は、願う時期に、自死することだ。


だから、毎日が、死ぬ準備となる。

それでも、部屋に物が多い。

書籍と、衣類である。支援物資の衣類が残っていて、私以外に、着られないからだ。

着物以外の時は、ホームレスと言われる姿である。

それも、楽しい。

おしまい。