国を愛して何が悪い249

戒律の厳守を命ずる仏道修行のうちにあって、戒律を守れなかったならどうなるか。二百年前に法然の提出した問題である。一休は禅の内に在って、この法然の問いに直面したのである。

亀井 現代文は私


私から言えば、戒律も、方便であると言う。

一体、その戒律というものは、何処からのものか・・・


誰が、その戒律を創り上げたかである。

仏陀が、戒律を作ったのではない。

仏陀以後の、弟子たちが、作り挙げた。更に、その後の、仏教家たちが、創り上げたのである。


戒律と言えば、道元である。

彼は、自ら、戒律を作った。


とても、厳しい戒律である。

実は、曹洞宗は、それが、テーマであった。

つまり、戒律が必要な人間であるとの、認識である。


戒律がなければ、堕落するとの、意識は、ただ事ではない。

人間不信の、最たるものである。


戒律は、規律と違う。

規律は、常識の範囲内で、行われるが、戒律は、自らが、自らを、縛るのである。

そして、その戒律の中での、仏道修行である。

果たして、それが、修行なのかと、私は、問い掛けたくなる。


さて、亀井の理想は、理想として、私は、一休を評価する。

下品であり、無頼でもある。


だが、自虐というものが、稀薄である。

法然、親鸞のように、自虐を好まない。


自虐から発した信仰が、良い信仰ならば、一休の信仰は、良くない信仰なのかと、問う。


信仰とは、千差万別の相がある。

それは、信仰とは、極めて個人的な、情緒のあり方だからである。


他人の信仰に、口をはさむことは出来ない。

それが、自由というものである。


どんなに、騙されていようが、他人のそれに、口をはさむことは出来ないのである。


一休は私のいま指摘した「道元の道」も「親鸞の道」も辿らなかった。禅宗と浄土真宗の対決といったような宗派の問題ではない。戒律によって、きびしく自己を規制してゆく勇猛な心と、それはとても不可能で、破戒の底に身を沈めざるを得ない凡夫の悲しさと、言わば人間性のなかにそそむ両面性、矛盾として、これは永遠の課題と言うべきものであろう。一休はたしかにこれを心の負担とした。

亀井


道元も、親鸞も、絶対に妥協を許さないものがある。

道元は能動的で、親鸞は受動的だ。


一休は、そのいずれかでもない。彼はいづれとも「決定」けつじょう、しないままに、この苦悩に堪えた。というよりはここで破綻したのである。

亀井


私は、破綻を良しとする。

破綻するほどの、才能があったと、言う。


風狂の人である。

そうそう人は、風狂の人には、なれない。


室町期に、風狂の人がいたというのが、日本の精神史の中に存在したということだ。


亀井は、信心決定のための苦悩を、風狂で、糊塗したと言うが・・・


風狂もまた、信仰の姿であろうし、何せ、信仰なども、笑う程の、風狂でなければならない。


信仰という、強迫の中に、身を置き切れなかった人である。


ところで、それとは反対に、雪舟がいる。


芸術否定の激しい声を聞きながら、敢えて詩文に執着し、或いは諸芸術にたずさわるときの矛盾の苦悩を、もし極限まで追い詰めて行ったらどういることになるか、それを破戒の危機として自覚したらどうなるか。この重要な課題に、まともに答えようとしたか。私は結局は雪舟だと思う。

亀井


亀井の、好みの人である。

つまり、真面目に、何事かに、取り組む人である。


雪舟を説明するには、多くの言葉が必要である。

しかし、それを、簡単に書く。


雪舟は幼少のころから、絵を好み、画僧を志して相国寺に入ったと言われる。

ところが、彼の師匠である、春林周藤は、五山禅僧として、稀に見る戒律の厳しい人であった。


詩文絵画についても、否定的であり、これは雪舟にとって、特に重要なことである。


それでも、雪舟は、後世に、見事な絵画を残した。

それが、信仰であった。

それで、いいのである。


しかし、評論家は、語る。


たしかに画僧を志したが、何よりもまず禅僧としての峻厳な薫陶を受けたにちがいない。幼少の頃から二十代三十代まで、これが続いたとは思わなければ、後年の彼の画風は理解しえないのではなかろうか。画の訓練はむろんかさねたが、同時に禅僧としての作法は、瞬時もゆるがせにしなかったと思われる。

亀井


亀井の好きな、人物であることは、十分に解る。

その、信仰と、芸術の間を、苦悩を持って生きたということである。


そして、雪舟の凄さは、その作品が、明から帰国後の、六十代、七十代に出来上がっていることだ。


これが、凄いことと、私は、言う。

迷いのただ中ではなく、老い先の後に、作品を描くという、行為である。

人間、やれば出来るの、見本である。