国を愛して何が悪い250

今、雪舟を見ている。


禅の自然観は一見「汎神論」のようにみえる。・・・


森羅万象、すべての自然裡に仏音を聞き、仏体を感受するというこの境地に入れば、絵筆を握ること即ちそのまま仏道に参入することと解される。私の言う「密教型思考」がここに生じやすい無拘束性を戒めたのはやはり道元であった。

亀井


ここで注意すべきは、仏音とか、仏体を甘受するという言葉である。

これは、私の言い方をすれば、妄想である。


つまり、この世は、仏の中にあるという、観念である。

勿論、そのように信仰するならば、それでもいいが・・・


仏を信じない者には、単なる、空虚である。

一神教の人などは、全く、論外の話になる。


別エッセイ、神仏は妄想である、を参照のこと。


さて、続ける。


室町期の精神の一つに、雪舟の絵を取り上げた、亀井の論述である。


明に渡ってから何を見、何を学んだか。「溪声山色」のなかの、或る核心に眼を据えた。つまり「岩石」である。石は天地の骨である。自然をその上に成立させている骨格である。虚無であるとともに生命であり、しかも絶対の沈黙を守っている。

亀井


雪舟の描いた、岩石の絵について、言う。

一度は、誰もが触れた有名な絵画であると、思う。


彼は民に留学中、中国の風景にみられる巨岩、奇岩のあらゆる形態に接したにひがいない。それをめぐって生ずる千変万化の風景に陶酔しただろう。このとき核心を成す「岩石」とは、「不立文字」とひとしい役割を果たしたのではなかったろうか。

亀井


その、雪舟の信仰の様を、亀井は、評価する。

勿論、私も、それは否定しない。

信仰と、芸術は、対立するものではないと考えるからだ。


言えば、芸術は、信仰と、密接に関わるものである。

道元が、明確に、芸術行為を否定したが、それは、道元の拘りである。


信仰が、芸術に昇華することは、何も、悪い事ではないと、私は考える。


信仰の面からも、芸術の面からも、雪舟の絵は、評価出来るということだ。


雪舟は多くの仏像や祖師像を描いたにちがいないが、そのなかで信頼しえる遺作はこれひとつと言われる。「雪舟行年七十七歳謹図之」とある。禅における最高の劇を描くといった緊張感が全幅にみなぎっている。

亀井


最大限に、亀井は、それを称賛している。

それが、亀井の好みである。

そして、また、多くの人も、感動するであろう絵画である。


それが、信仰だと言うことも、良し。

芸術は、第二であると、言うのも、良し。


遺作から、その精神を見るのは、自由な試みである。

そして、百人百様の見方を、認めることだ。


頽廃していた、室町期の禅林の中で、ひときわ輝く、雪舟の絵である。


ただ、亀井は、何度も、確認するように、書く。


雪舟の絵に接するとき、彼が禅僧であることを一刻も忘れてはなるまい。作画とは禅僧としての行為であったからだ。このことは、絵画を絵画として純粋に鑑賞する妨げとなるだろうか。宗教味という別の要素から、絵画をあげつらうことは邪道かもしれない。しかしここが雪舟自身にとっても甚だつらいところではなかったろうか。

亀井


そんなことは、無い。

雪舟は、信仰と、絵画の相克など、皆無である。

亀井の、考え過ぎである。


雪舟の絵画は、信仰告白と同じであると、私は言う。


そして、それが、室町期に出たということが、眼目である。

禅僧たちが、安穏として、怠惰と、快楽に溺れている間に、雪舟は、自らの行為で、信仰を示したのである。


芸術否定の声を内心に聞きながら、絵筆をとり続けてきた人が、どういうところへ追い詰められて行ったか・・・

と、亀井が書くが、それは、亀井の強迫性である。


雪舟の絵について書くが、それは、亀井の病状である。


画家である以上に禅僧であることを第一義の道とした人でなければ、こういう壮絶な精神の劇は描けないだろう。

亀井


それは、雪舟の才能である。

才能のある人を、才能の無い人が、評論するのは、見苦しい。


亀井は、信仰という世界の概念に対して、特に、強迫性を持って臨む。


私が感じるのは、雪舟の絵は、驚きだが、そこに、ただ、もののあはれ、なる心得がないということだ。


中国、明の絵画に毒されのである。

でも、才能であるから、しょうがない。


壮絶な気迫のみが、漂う。

そして、それが、時代性だった。


そうして、室町期の禅の世界を、確定した。

この時代も、捨てたものではない、と。


禅僧として禅を表現する道は、絵画以外になかったとしても、禅における第一義の道「初心」といったものが胸中にあって、絶えず彼を苦しめたにちがいない。そうでなかったら、七十七歳になって「慧可断ヒ」など描く筈はない。

亀井


いや、七十七歳だから、描けたのである。

更に、苦しんだのではなく、解放されて、描いたと、私は言う。