国を愛して何が悪い252

ところで外来文化の受容、摂取の過程で、「日本人好み」といったものがあらわれてくるのは当然である。中国の何に陶酔し熱狂したのか。絵画について言うならば、禅林と武家にはおびただしい仏画、禅機図、水墨画等が蔵されていたであろうが、禅関係のなかでは、やはり達磨と布袋と寒山拾得の図が筆頭であろう。

亀井


南宋から元にかけて生存していた禅僧画家、牧谿が日本人の間に、長い間に渡り、心酔した様子である。


ところが、中国では、かなり低く評価されていたのである。


南宋も末期に近づくにつれて画院の絵画は質的に低下をきたす。そうして院体画の衰えるとは反対に水墨画が盛んになる。宋末元初に空前絶後ともいうべき水墨画の黄金時代を現出したのである。

米沢嘉圃


ところで、このころの画僧たちが画いた水墨画は、日本以外に伝存していないといってよい。それは、この時代の水墨画についての日中双方の好みが、相反していたからである。日本では彼らの画蹟が芸術的見地から高く評価され、名品として愛惜されたけれども、中国では元代以来士大夫の文人画が尊重されたけれども、僧侶の水墨画は、「粗悪にして古法なし」とか「文房の清玩となすにたらず」として退け、ほとんど関心をはらわなかった。

米沢


と、いうことで・・・

日本にて、それらの作品が大量に残ることになったのである。


外来文化の消化における日本人の最大の特徴としては私は「ひらがな化」をあげ、それは建築、絵画、彫刻、工芸の全体に及ぶことをくりかえし語ってきた。この過程とかなり同質のものが、はじめから牧谿の画に内在しているようだ。日本人にとっては、入りやすい作品だったと言えるわけである。

亀井


それが幸いして、水墨画の多くが、日本にて、保存されたということである。


室町期に形成された、美観の一つに、「高淡」と言う言葉がある。

これは、禅のもたらした言語上の含蓄の深さと、簡素化と合わせて、牧谿などの画風の影響が作用していると思われる。



もう一つは、水墨画の、余白の部分に日本人が、惹きつけられたという。


つまり、その画風に、ひらがなの草書体を観るものである。

そこに、親しみを感じた。


中国独特の「煙霧」のうちに表現されたときに、異国への夢のうちに「日本的抒情」を味わったと言ってもよさそうである。


自然をそのままに味わう民族であるから、淡泊をの好む。だから、水墨画の魅力に憑かれたのである。


それが後に、華道、舞踊などに影響を与える。

室町期の文化を、現在は、日本の伝統文化と呼ぶ。


それは、茶道、華道、書道、能、舞などのことである。

江戸時代になると、それが熟して、爛熟の美へと至るのである。


それらが、日本では、日常生活の中に、入ることになる。


紙の障子を通してくる光線、床の間の明暗の度合いとも関係してくる。小品ほどふさわしくなるわけである。日本では茶道が独自の発展をとげ、それにあわせて軸や器物が扱われるだけに、絵画への好みもこの面から考えておく必要がある。

亀井


ひらがなにあった、草化現象が、矢張り、日本の伝統である。

崩れるという、心象風景であり、もののあはれを感じる心が、生み出すものである。


足利義政の時代に、能阿弥、相阿弥によって伝えられた「君台左右帳記」という、文献がある。

当時の「唐物」全盛に応じて、その知識、利用の仕方、作法を教えたものである。


その中には、呉から、元朝まで、176名の中国画家の名が、列挙されているという。


つまり、それらが、伝来したということだ。


その内容については、省略する。


その作品は、禅の儀式と、バサラたちの共存を物語る。

その頂点が、金閣寺であった。


同時に水墨画のもたらした中国の風景とその詩境に、五山の禅林の僧たちは魅せられたのである。

多くの山水画が、彼らの、漢詩に大きな影響を与えた。


そして、更に、陶磁器である。


すべて異国文物への夢は、陶磁器を媒介として深まると言って過言ではあるまい。大量生産されて普及するとともに、日常的な実用品だからである。

亀井


その当時の、中国への夢は、現在、無残にも、壊れた。

それは、現在の、中国の独裁政権により、過去の中国の夢が、叩き壊されたからである。


更に、漢民族という、野蛮な人々によって、古代中国の夢は、破壊された。


ただ、野蛮人となった、中国人である。

それは、漢民族のことである。

その他の諸民族は、漢民族によって、同化政策を受けて、瀕死の状態である。


それでも、まだ、中国に傾く人々がいるから、不思議である。


現在の中国には、まともなものが、何一つ無いのである。


鎌倉室町時代から今日まで、伝来の陶磁器は殆ど無意識といっていいほど日本人のなかに血肉化されたことを私は重視したいのである。南蛮渡来のギヤマン、ガラス製品などの比ではあるまい。西洋文化の享受、摂取の場合との本質的相違は、こうした点にもあるのではなかろうか。

亀井


今日の茶道でも、中国産を唐物として、特別扱いする。

だが、それも、次第に衰退する。


つまり、新しい時代精神が、芽生えたのである。

千利休の言う、絶えず、工夫するという、時代が来た。