日々の言い分486

私の嫌いな、投資家、ジム・ロジューズの、日本への警告、という本を読んでいる。


その中で、

私の場合は、歴史や哲学を学び、興味を持ち続けてきたことで、将来どのような変化が起こるのかを長期的予想することができる。誰でも、歴史を知れば、すべてのことがかつて起きていたという事実がわかるはずだ。歴史はつねに、世界について多くのことを私に教えてくれる。私たちが新しいと思っていることも、ギリシャやローマの歴史を読むと、同じようなことがあったことに気づく。2000年以上も前にプラトンが書いた本が、21世紀の日本やアメリカで起きる変化をとらえる手掛かりになることもあるのだ。

という。


確かにも、その通りである。

しかし、歴史を学ぶといっても、その学び方である。

学校教育での、歴史は、学ぶのではなく、覚える。

試験のために、覚えるだけの学びだ。


学んで、血肉になる歴史は、自分で学ぶことしかない。

何故、このようなことになったのか・・・と、歴史に質問して、調べる必要がある。


そうすると、歴史が語り掛けるのである。

だが、そこまでに行くには、時間が必要である。


そして、歴史の何を知りたいのかと、歴史に何を問い掛けるのかが、問題だ。


別エッセイで、国を愛して何が悪い、を書いているが、時々、佇む。

何故、こんなことになったのかという、疑問が湧くからだ。


それが、その昔に原点があった等々、色々と深さがある。


そして、歴史は人間の欲望の有様を、伝えてくれる。

人間とは、そして、生きるとは、欲望なのである。


そこで、確実なことは、人間は、死ぬ存在であること。

それを、歴史から知る。

知る、とは、つまり、解るということである。


なぜ歴史は繰り返されるのか?過去も現在も、そして未来も私たち人間はほとんど変わっていないからだ。プラトンはもちろん日本に行ったこともなく、彼らが生きた時代にはインターネットもテレビもなかったが、プラトンの同時代人たちも今の私たちとまったく同じように心臓をも持ち、食物を食べ、嫉妬する。時にはヒステリーを起こし、政治家はたいてい判断を誤る。今起きている問題も、1000年後の人間から見れば、「またこれも繰り返しだ」と思われることだろう。

ジム・ロジャーズ


万葉時代の人たちも、私たちと、大差はない。

古代の人というが、人間としては、変わらないのである。


ただ、彼らより、退化した可能性がある。

そして、彼らより、賢くなった可能性もある。


退化した部分と、賢くなった部分を、足して二分すると、矢張り、大差のない存在になる。


呆れる程に、人間とは、愚かな者である。

私などは、我が身の愚かさに、笑う。

だから、毎日が、喜劇を見ているようである。


生きるとは、実に、滑稽なこと。


真剣になっても、不真面目になっても、大差ない。

ただし、続ける事が出来るというのが、唯一の救いである。


延々と続ける、それを、別名、成功という。


その一方で、物事は変化するということも歴史から学ぶことができる。・・・

1900年の常識は1915年には当てはまらず、1930年に知られていたことは、1945年にはまるで当てはまらない。そした今私たちが考えていることは、2034年には何もかも違っているはずだ。・・・

ジム・ロジューズ


ワープロを使い、今は、ネットで調べ、ワープロは無くなった。

どんどんと、進んでいる。

世界のことが、今、手に取るように解る。


情報過多といわれる、時代になった。

江戸時代の一年分の情報が、今は、一時間程度で知ることが出来る。


変化したものと、変容したもの。


日本の場合は、世界で唯一、長い伝統を持つ国柄である。

つまり、変容したものが多い。


人間のやる事は、変化なくとも、変容させている。

この、伝統を変容させる力は、生きる力となる。