死ぬ義務54

シェリー・ケーガンの、「死」とは何か、という書籍を読んでいる。


ここで、あまりにも、饒舌なので、彼の、「死が悪い」ということについての、結論を見る。


だから、私が剥奪説を持ち出して、死について悪いことのうちで中心的な問題は、人生における良いことを剥奪されるという事実だと言うときには、剥奪説に関しては何から何まで明瞭で申し分ないと主張するつもりはない。なぜ死が悪いことでありうるかについては、、難問ーーーまだ完全には答えが得られていない疑問ーーーがいくつか残っていると思う。

だがそれでもなお、私には剥奪説こそが、進むべき正しい道に思える。この説は、死にまつわる最悪の点を実際にはっきり捉えているように見える。

死のどこが悪いのかといえば、それは、死んだら人生における良いことを享受できなくなる点で、それが最も肝心だ。死が私たちにとって悪いのは、私たちが死んでさえいなければ人生がみたらしてくれただろうものを享受できないからにほかならない。

シェリー・ケーガン


と、いうこで・・・

少し、呆れる。


人生における良いこととは、その裏には、悪いこともある。

人生における、体験をすることが出来ないことが、悪いと、考えるのである。


生まれなかった存在まで持ち出して、この議論を延々と続けた彼は、大学の講義という職場で、仕事をしたのみである。


これが、名講義なら、私の講義は、更に名誉講義になるだろうと、思える。


生きていれば、体験出来たことが、死ねば、体験出来なくなることが、悪いと、それで、片が付く。


人生の体験が出来ない、死ぬことは、悪いのである。

と、まあ、呆れる。

当たり前のことである。


実際、生まれなかった人のことなど、知るよしもないし、そんな話は、冗談である。

それを、非存在などと名付けて、議論を続けた。


非存在は、悪いものとは、存在しないことが、悪いと言うことである。

そんな話は、議論にもならない。


本当は、生まれて来るはずが、中絶によって、生まれなかった人は、悪いものとなる。


そして、生まれなかった人の、感想を聞くことも出来ないのである。


更に、生まれる前のことについても、議論する。

仏教のある部派では、それを未生と言う。


生まれる前があったという、仮説である。

未生以前と言う言葉が、踊る。


生まれる前から、生まれた、そして、死んだ後という、のは、一つの考え方である。

ここで、シェリー・ケーガンから、離れることにする。


未生も、死後も、非存在である。

だが、非存在でも、意識があると、仮定してのお話しをする、宗教の蒙昧である。


例えば、前世というものがあったとして、私という人間は、今回限りで、終わりである。

もし、私が生まれ変わりを繰り返しているとしたら・・・


それでも、私という、この存在するものの、意識は、一度限りである。


敢えて、輪廻転生があると仮定しても、私は、矢張り、一度キリである。


来世が、別人になっとたとしても、私は、私限りの存在である。


別エッセイで、霊学、を書いている。

それは、人間は、霊的存在であるという、定義である。


そして、霊的存在である人間には、霊界と称する、一応、仮定であるが、そう名付けた、場所があるとの、想定である。


生きていても、その霊界に生きていると、仮定している。


この世は、霊界に含まれて在るという、観念を持って、書いている。


勿論、その手前に、幽界という世界も存在するという、仮定をつけている。

幽界から、霊界へとの道のりである。


それが、死後の世界にあるのではなく、今、現在、生きている世界にも、存在するという、考え方である。


そして、それは、ユングの言う、集合意識とも、通じている。

集合意識は、幽界、霊界の意識であるという、仮定を持って、霊学を書いているのだ。


仏教の学派では、阿頼耶識、あらやしき、末那識、まなしき、という、潜在意識を有するという、考え方がある。


勿論、お馴染みの、心理学もそうである。

潜在意識は、誰も疑いなく、存在すると、考えている。


その、潜在意識が、幽界、霊界と通じている。

だから、死後の世界の話ではない。


私は、まだ、死んだことがないから、死後の世界は、知らない、解らない。


語ることは、出来ない。

ただし、今の時点で、想像することは出来る。


それは、潜在意識のあり方を持って、想像するということだ。


この世には、目に見えないものも、多数存在する。

例えば、人間の脳波は、見えないが、存在している。

そして、その脳波が、人間関係に、大きく関わるということなど。


更に、脳波が、幽界、霊界につながっていると、仮定している。


生きている人は、幽界にも存在し、霊界にも、存在している。ただ、それを知らないだけである、ということだ。


それは、目に見えない世界である。

一つに、人間の思いというものは、伝わるのである。

誰かを思えば、その誰かが、気が付くことがあると、いうことだ。


その話を、次に続けて、更に、深く、死ぬ義務、を書いてゆく。