生きるに意味などない177

一方にこのような東洋的世界像があるとすれば、対する西洋の側には、現代自然科学の、まったく新しい存在論、存在感覚に裏付けられたまったく新しい世界像があり、そこでもまた、物質と意識の本質的峻別は無力化されてしまう。元来、物質と意識とを矛盾的対立関係におくのは、ニュートン力学のパラダイム、あるいはデカルト的二元論に基づく見方でありまして、このような見方をするかぎり、ものの本源的透明性とか、ものとものとの相互浸透などということは考えられません。

筒井


しかし、現代物理学では、旧来のパラダイムは既に新しいパラダイムに置き換えられ、デカルト的な物と心の二元論は、否定されつつある。


筒井氏によると、自然科学の新しいパラダイムが、いわゆる「事物」の存在論的構造そのものに意識の積極的参加を認め、それによって、事物の実体的凝固性を「溶解」し流動化する性格であることが、注目されていると、言う。


物質的世界が、意識の内面からの参与によって、限りなく柔軟で、常に、変転する「出来事」の相互関連の複雑微妙な創造的プロセスとして、見られるようになってきた。


つまり、西洋が、東洋に近づいてきたということだ。


既に、西洋的世界像は、基本的には、伝統的な東洋哲学の世界像に、酷似するところがあると、言う。


東洋哲学は、千年以上の長い年月を通じて蓄えられた知的経験を持つ。

また、創造力もある。


それが、東洋と西洋の融合という、新しい時代に入ったということだ。


だが、それが融合しても、一個の局所的現象であり、地球社会的哲学の理想には、遥かに、及ばないものであるとの、説である。


これは、西洋の精神の柱、キリスト教を無視している、議論である。


西洋哲学とは、神学を含めたものであり、それを無視しては、話が成り立たない。

西洋思想は、キリスト教思想と、対決して来た過程がある。


勿論、キリスト教に、含まれてしまったのだが。


無駄な足掻きであると、私は言う。


そのキリスト教は、ギリシャ哲学から、付け足したものである。

更に、そのギリシャ哲学は、イスラム帝国からの、逆輸入であるから、どうしたものだろうか。


西洋の野蛮さは、そこからも、見て取れる。

西洋人とは、ただの、強盗、海賊の子孫である。

それを、よくよく鑑みて、考えるべきことである。


そして、キリスト教が、何をして来たかである。

別エッセイ、神仏は妄想である、に、これからそれを書きつける。

そちらを、参照のこと。


さて、筒井氏の、論文を読んできたが・・・

こうして、生きる意味意識を求めて、東洋が進んできたことは、理解できる。


いやいや、思想、哲学とは、皆々、そのようである。

主義や、主張は、それである。


そして、時代は、いつも新しい。

新しい、思想、哲学を必要とする。

だから、今も、続々と、考え方が現れる。


あらゆる学問は、それを基底にして、進んできた。

学問とは、死ぬまでの暇潰しには、最高である。


そのうちに、皆、死ぬ。

その、死こそが、人間の救いであることを、誰も言わない。


生きる意味より、死ぬ意味を考えることが、先決であるが、いつの間にか、死ぬことを、考えない時代になった。


出来る限り、死というものを、見ないようにしてきた。

だから、生きる意味の議論が、空転する。


そして、極めて言えば、生きるに意味などない、という事実に気づかないのである。


またまた、取り上げたのが、筒井氏の、意味の深みへ、だった。


このエッセイの最初に、教育学による、意味付けについて、書いた。

教育とは、意味付けの学問である。


意味があって、すべてが成り立つということを、教育の現場で成す事だというお話しである。

まだまだ、それ序の口だった。


そこに戻るか、あるいは筒井氏の、先の論文を読み続けるか、である。


ここで、東洋思想に関して、少しばかり、説明したい気分になるので、次の、文化と言語アラヤ識、異文化間対話の可能性をめぐって・・・という、論文を読み続けてみることにする。


東洋思想を俯瞰出来るのが、面白い。

つまり、東洋という思考の世界を、少しばかり、俯瞰して、ああ、そうかと、納得して、最後は、ご苦労さんとなる過程である。


何故、人は、思想、哲学をするのかという、疑問も解けるかもしれない。


そして、その無益と思われる行為の中で、人は、一体、何を求めてきているのかを知ることになる。


つまり、生きるに意味などない、ということは、実は、無益だからこそ、意味付けをしなければならなかった、努力を見るものである。


そこで、考えが、詰まると、観想、瞑想を成してきた、東洋の面々である。


すると、意識の底から、感じ取るものがあると、気付く。

つまり、幻想、妄想の内に在る、意義である。


意味を深めるというのは、妄想を深めるということである。

そして、行き着いたところが、「無」とか、「空」とか、色々な言い方がある。


その妄想を体験して、現実の世界に戻り、しょうもない、人生を生きると言う事。


まさに、冗談のような、人生を生きるのである。