神仏は妄想である586

イングランド人の民族的記念碑となるのは、ヘンリー八世の娘であるエリザベス一世によるアルマダ撃破である。日本では「エリザベス女王によるスペイン無敵艦隊撃破」と記憶され、イギリスが世界の大国になったかのような錯覚さえ起こさせている。

倉山


実際は、無敵艦隊ではない。単なる、神風のようなもの。

アルマダそのものは、すぐに再建されている。


女王治世の末期には、スペイン主導の包囲網で、イングランドは逼塞を余儀なくされた。


日本人は、一つの画期的な事件があれば、その後に飛躍的な進歩を遂げるものだと歴史を捉えがちである。しかし、後に七つの海を支配する大英帝国も、一直線に世界の覇権を握ったわけではない。再びヨーロッパ西北の島の一部を支配するにすぎない小国に舞い戻るのである。

倉山


処女王として、貴族、国民からも愛された「ベス」の時代以外、後継の男王の時代は、内乱期である。


その最大の理由は、宗教紛争である。


狂信的なプロテスタントである、カルバン派の清教徒が、カトリックに信教の自由を認めなかったために、王権が揺れる。


さて、ドーバー海峡を挟んだ、隣国、フランスでは、王位継承問題に、矢張り、宗教問題が絡んだ、三アンリ戦争が繰り広げられた。


ベジエの大虐殺以来、フランスは、カトリックの勢力が強く、だが、バチカンの支配を嫌う、ユグノー、カルバン派が結集し、血みどろの争いが、80年も続いていた。


これを統一したのが、アンリ四世である。

王は、プロテスタントの代表者だったが、カトリックに改宗することで、統一を達成した。


また、ナントの勅令で、信教の自由を認めた。

フランスは、あまりにも激しい、宗教戦争の場であった。


他のヨーロッパ諸国に先駆けて、融和的政策が受け入れられた。


一言でまとめれば「殺し疲れた」のである。

倉山


呆れる程、戦争の好きな民族、キリスト教白人であることが、解るであろう。


フランスは、東にオーストリアのウィーンを中心に、ドイツに根を張る、神聖ローマ帝国、西に、スペインと、ハブスブルク家の「双頭の鷲」に挟撃される位置にある。


国内に、宗教戦争を抱え、ブルボン王家は、ハプスブルク家の覇権に常に挑み続けた。

ハブスブルク家と、バチカンの陰謀に敗れ続けたが、軍事的には、常に侵略を防いだ。


ハプスブルク領のネーデルランドは、事実上の独立を果たし、世界中で、植民地争奪を行い、30年戦争に突入する。


ネーデルランドは、領域が少ないが、世界各地で覇権を競い、日本にまで訪れる、大海洋勢力に成長する。

日本では、オランダとして・・・


だが、政治経済的利益によって始まった争いが、宗教を理由にして終わらないこと、多々ある。


ネーデルランドと、ハプスブルク家の抗争である。


ネーデルランドの絶頂期は、オレンジ公が君主の時代である。

経済力に基づく大海軍は、スペイン、イングランドを圧倒した。

インドネシアでは、イングランドが、オランダ海軍に完敗し、東アジアから、100年の撤退を強いられる。


ヨーロッパで、30年戦争が繰り広げられた時代、江戸幕府は、鎖国と称して、オランダとだけ、交易を続けていた。


要するに、日本は、カトリックを禁止したのであり、オランダのプロテスタントと付き合うのである。


つまり、すべてのキリスト教を禁止したのではない。

カトリック、切支丹を禁止した。

何故か・・・


カトリックは、植民地化を目指すからである。

ローマ教皇に帰属させる。


余計なことだが、その教義による。

プロテスタントは、豫定、よてい、を根拠とする。

つまり、天地開闢から、終末までの事象は決められてある。

最後の審判の際に、救われる者もきめられてある。


有色人種は、天国に行くと定められていない。故に、布教などという、無益なことは、しないのである。


そのオランダと、250年間の友好が成立した。

どちらも、日本には、悪意ある、教義である。だが、安全なのは、オランダである。


ヨーロッパの宗教の克服には、絶対主義が必要だったということ。

それは、いかに、彼ら、白人が野蛮であるからを、紹介してきた。


殺す、殺す、という行為は、そのユダヤ教の旧約から、始まっている。


ただ、異教徒だからと、平然と殺す。全員、虐殺する。

それが、本性である。


絶対主義は、反教会的な動きでありながら、宗教戦争の主体となっていく。宗教の克服による近代化には絶対主義が必要だったのである。キリスト教の側にそうはさせまいとの反動的抵抗があったからこそ、摩擦が拡大したのである。

倉山 満


こんな宗教を持つという、ヨーロッパである。


日本にも、乱世という時代がある。

南北朝、室町末期から、戦国時代。


だが、朝廷、天皇は、政治的争いから、超越していた。

それが、幸いして、朝廷、天皇の権威により、多くの争いの方がついた。


天皇の権威が、何より、第一だったことが、日本の救いとなる。

そして、天皇は、殺せ、などとは、決して言わない。

庶民に剣を向ける者は、天皇から、強いお叱りを受ける。


闘いは、武士同士であった。


日本を分断させた、戊辰戦争の際も、庶民は、それを見ていただけてある。

関ヶ原の闘いも、然り。