日々の言い分517

毎日、ブログに載せる、原稿を書いている。


しかし、この後に来て、書くことよりも、学ぶことが、多くなり、限界に近付いている。


学ぶこととは、本を読むことである。

私は、独学であるから、本を読むことになる。


さて、限界に近づき、毎日、毎日と、ブログを更新することが出来なくなる。

これは、残念である。


私の死ぬまでの、暇つぶしとして、書いてきた。

それが、今では、生き甲斐にもなっている。


金にならない、ブログを書き続けて・・・

勿論、金にならないとは、私の、才能の無さであり、私の運の無さである。


運のある人は、しょうもないものを書いても、金になる。


つまり、運の有る、無が、人生を決める。

誰か、これに、反対する人がいるだろうか・・・


運は、自分で変えられると、考えている人がいるようだが・・・


運を変えるのは、無理である。

つまり、運は、与えられてある。


諦めるということが、出来ない人たちが多い。

そして、絶望の淵に立つ。


絶望して、それでも、やりたいことをすることが、私は、成功だと考えて来たし、今も、それは、変わらない。


成功することを、金を得ることと、考える人とは、全く、別である。


やり続けることが、成功なのである。

と、まず、その考え方から、違う。


社会に認められることが、成功とする人たちとも、違う。


誰にも認められずとも、やるべきことを、やることが、成功だと思っている。

つまり、私は、私の人生で、成功しているのである。


これを、自画自賛という。

自画自賛しても、何も、そこにはない。


誰にも、評価されずとも、いいのである。


そして、それは、自己満足とも言う。


自己満足して、生きられれば、幸せなことだと、思っている。

だから、小説を書いても、私が読みたいものを、書く。


そのように、生きて来た。

そして、生きて行く。


後世に残すものなど、何も無い。

すべて、無いない尽くしである。


多くの人が、右に行くと、私は、左に向かって来た。


集団が、嫌なのである。

集団でいると、ロクなことがない。


そうして、名文ではなく、駄文に目覚めて、兎に角、読みにくい文と、書き続けて来た。


さて、頭の悪い私が、独学であるから、次に続かなければ、ブログも終わる。

兎に角、何とか、希望通り、死ぬまでの、暇を潰すために、努力してみる。


私の、自己満足、言い訳である。


人生は、自己満足に尽きる。

そして、それは、すべて幻想、妄想なのである。


人生は、すべて、仮説で成り立つ。つまり、定説などというものは、一つもない。それらは、今の、定説であり、少し時間を経ると、覆る。

仮説というより、妄想と、私は、表現する。


何せ、本当の私というものに、出会ったことも無いのである。