もののあわれについて990

この度ばかりこそ見め、と思して、立ちめぐりつつ見給へば、仏も皆かの寺に移してければ、尼宮のおこなひの具のみあり。いとはかなげに住まひたるを、あはれに、いかにして過ぐすらむ、と見給ふ。薫「この寝殿は変へて作るべきやうあり。作りいでむ程は、かの廊にものし給へ。京の宮に取り渡さるべき物などあらば、荘の人召して、あるべからむやうにものし給へ」など、まめやかなる事どもを語らひ給ふ。他にては、かばかりにさだ過ぎなむ人を、何かと見入れ給ふべきにもあらねど、よるも近く臥せて、昔物語などせさせ給ふ。





今度で、見納めだろうと思い、あちこちと歩き回って、御覧になると、仏像も、皆、山の寺に移したので、尼宮の勤行の道具だけがある。とても、頼りなさそうに、住んでいるのを、あはれと思い、どのように暮らしているのかと、御覧になる。

薫は、この寝殿は、作り替えるつもりだ。作り上げる間は、あちらの渡殿にいなさい。京の宮に、お渡しになるのが良いものがあれば、料地の者を呼んで、適当に、計らってください。など、事務的なことを、お話しになる。





故権大納言の君の御有様も、聞く人なきに心安くて、いと細やかに聞こゆ。弁尼「今はとなり給ひし程に、珍しくおはしますらむ御有様を、いぶかしきものに思ひきこえさせ給ふめりし御気色などの、思ひ給へいでらるるに、かく思ひかけ侍らぬ世の末に、かくて見奉り侍るなむ、かの御世に睦まじく仕うまつりおきししるしのおのづから侍りける、と嬉しくも悲しくも思ひ給へられ侍る。心うき命の程にて、さまざまのことを見給へ過ぐし、思ひ給へと知り侍るなむ、いと恥づかしく心うく侍る。宮よりも、時々は参りて見奉れ、おぼつかなく絶えこもりはてぬるは、こよなく思ひ隔てけるなめり、など宣はするをりをり侍れど、ゆゆしき身にてなむ、阿弥陀仏よりほかには見奉らまほしき人もなくなりて侍る」など聞こゆ。





亡き、権大納言様のご様子も、聞く人がいないので、安心し、事細かに申し上げる。

弁尼は、ご臨終になられた時に、可愛らしくいらっしゃるご様子を、気になると思い、申し上げ遊ばしたご様子などが、今、思い出されます。このように、思いもかけない晩年に、こうしてお目にかかることは、あの方の、ご在世中に、お傍にお仕えしていた甲斐が、自然と現れましたことと、嬉しくも、また、悲しくも感じます。情けない長生きで、色々なことを見て参り、思い知りましたことが、とても恥ずかしく、辛いことです。宮様からも、時々は、お邸に上がり、お逢い出来ます。ご無沙汰して、引き籠っているのは、まるで、他人扱いしているのだ、などとおっしゃり下さることは、何度もございますが、不吉な姿で、阿弥陀様以外に、お目にかかりたい方も、なくなっております。などと、申し上げる。





故姫宮の御事どもはた、尽きせず、年頃の御有様など語りて、なにの折なにと宣ひし、花紅葉の色を見ても、はかなく詠み給ひける歌語りなどを、つきなからず、うちわななきたれど、語るに、「こめかしくこと少ななるものから、をかしかりける人の御心ばへかな」とのみ、いとど聞き添へ給ふ。「宮の御方は今少し今めかしきものから、心許さざらむ人のためには、はしたなくもてなし給ひつべくこそものし給ふめるを、われにはいと心深くなさけなさけしとは見えて、いかで過ごしてむ、とこそ思ひ給へれ」などの心の中に思ひ比べ給ふ。





亡くなった、姫宮のことも、尽きることなく、数年のご様子などを話して、どういう時に、何をおっしゃったなど、花や紅葉の色を見て、ふと詠まれた歌の話などを、この場に相応しく、震える声だが、話すにつれ、おおようで、言葉少なく、立派だった姫宮のご性質と、聞いて、益々と思われる。

宮の御方は、もう少し、現代的であるが、心を許さない男については、取りつく暇もない、お扱をなさりそうでいらっしゃるが、私に対しては、考え深く、情けを持った女と見られるように、何とか、やって行こうと、思いなのだ。などと、心の中で、比較される。





さて物のついでに、かの形代の事を言ひいで給へり。弁尼「京にこの頃侍らむとはえ知り侍らず。人づてに承りし事の筋ななり。故宮の、まだかかる山里住みもし給はず、故北の方の失せ給へりける程近かりける頃、中将の君とて候ひける上臈の、心ばせなどもけしうはあらざりけるを、いと忍びて、はかなき程物宣はせける、知る人も侍らざりけるに、女子をなむ産みて侍りけるを、さもやあらむ、と思す事のありけるからに、あいなくわづらはしくものしきやうに思しなりて、またとも御覧じ入るる事もなかりけり。あいなくその事におぼし懲りて、やがておほかた聖にならせ給ひにけるを、はしたなく思ひて、え候はずなりにけるが、陸奥の守の妻になりたるを、一年のぼりて、その君たひらかにものし給ふよし、このわたりにもほのめかし申したりけるを、聞こし召しつけて、さらにかかる消息あるべき事にもあらず、と宣はせ放ちければ、かひなくてなむ嘆き侍りける。さてまた常陸になりて下り侍りにけるが、この年頃音にも聞こえ給はざりつるが、この春のぼりて、かの宮には尋ね参りたりけるとなむ、ほのかに聞き侍りし。かの君の年は二十ばかりになり給ひぬらむかし。いとうつくしく生ひいで給ふが悲しき、などこそ、なかごろは、。文さへ書き続けてはべめりしか」と聞こゆ。





そのうちに、ついでに、あの身代わりのことを、言いだした。

弁尼は、京に、この頃おりましょうか、分かりません。人伝に、お聞きしましたことなのです。亡くなった、故宮様が、まだ、このような山里に住んでおらず、北の方がお亡くなりになったそうそうに、中将の君といって、お仕えしていた上臈で、気立てなど、悪くは無かったのを、人目につかないように、ほんの少し、情けをかけたこと、知る人もなく、女の子を産みました。それは、自分の子であろうかと、思うこともあったため、つまらなく面倒で、嫌なことと考えられて、二度と、お構いになることも、ございませんでした。

つまらなく、この事に、懲りまして、そのまま、まずは聖になられましたのを、取りつくしまもなく、お仕えしていられなくなり、陸奥の守の妻になりまして、先年上京して、その君が、無事に育っていらっしゃることを、こちらの方にも、こっそりと、申し上げましたが、お耳に入りますと、全然、このような話を聞く筋はないとおっしゃり、お知らせしないかもと、嘆いておりました。

それから、今度は、常陸になって、下りましたが、ここ数年、噂も出ず、いらっしゃいましたが、この春に、上京して、あちらの宮には、探し当てて、参上されましたと、聞きました。あの君の年は、二十歳ほどになっていらっしゃるでしょう。とても可愛くお育ちでいらっしやるのが、愛おしいなどと、以前は、手紙にまで長々と書いて、よこしていました。と、申し上げる。


物語が、また、展開する様子である。