もののあわれについて994

二月のついたち頃に、なほしものとかいふ事に、権大納言になり給ひて、右大将かけ給ひつ。右の大殿左にておはしけるが、辞し給へる所なりけり。よろこびにところどころありき給うて、この宮にも参り給へり。いと苦しく給へば、こなたにおはします程なりければ、やがて参り給へり。「僧など候ひて便なきかたに」と驚き給ひて、あざやかなる御直衣、御上襲など奉り、ひきつくろひ給ひて、下りて、答の拝、し給ふ、御さまどもとりどりにいとめでたく、「やがてこよひつかさの人に禄賜ふ饗の所に」と請じ奉り給ふを、悩み給ふ人によりてぞ、思したゆたひ給ふめる。





二月の初めころ、追加移動ということで、権大納言におなりになって、右大将を兼任された。右大臣が、左大将を兼任していらっしゃたのを、お辞めになったものである。

お礼を申し上げるために、あちこちに出歩き、この宮にも、お出でになった。中の宮が、とても苦しまれているので、こちらにいられる時だったので、そのまま、こちらに参上した。僧などがいて、不都合なところに、と驚きになり、くっきりとした色の、御直衣に、下重ねなどをお召しになり、身づくろいされて、階段を下りて、お礼の拝礼をされる。

その、お二人のご様子は、どちらも素晴らしく、薫は、このまま今晩、近衛府の人に、禄を与える宴会に、どうぞ、とお招き申し上げるのを、苦しみになる人のせいで、決めかねている様子である。





右の大殿のし給ひけるままにとて、六条の院にてなむありける。垣下の親王達、上達部、大饗に劣らず、あまり騒がしきまでなむ集ひ給ひける。この宮も渡り給ひて、しづ心なければ、まだ果てぬに急ぎ帰り給ひぬるを、大殿の御方には、「いとあかずめざまし」と宣ふ。劣るべくもあらぬ御程なるを、ただ今の覚えのはなやかさに思しおごりて、おしたちもてなし給へるなめりかし。





右大臣が、された通りとあって、六条の院で行われた。

大饗に負けないほど、騒がしすぎる程、お集りになった。この宮様も、お渡りになって、気が気ではなく、まだ宴会も終わらないのに、急いで、お帰りになったのを、右大臣方では、つまらない。癪だ、とおっしゃる。中の宮は、六の君に負ける訳にもいかない身分だが、六の君は、ただ今、世間の声が、華やかではないので、いい気になって、威張っているのでしょう。


最後は、作者の言葉。





からうじてその暁に、男にて生まれ給へるを、宮もいとかひありて嬉しく思したり。大将殿も、喜びに添へて、嬉しく思す。昨夜おはしましたりしかしこまりに、やがてこの御喜びもうち添へて、立ちながら参り給へり。かく籠りおはしませば、参り給はぬ人なし。





やっとのことで、その朝早く、男でお生まれになったのを、宮様も、心配した甲斐があり、嬉しく思うのであった。大将殿、薫も、昇進の喜びに加えて、嬉しく思うのである。昨夜お出でくださったお礼に、そのまま、この祝いも併せて、立ちながら、お伺いになった。このように、二条の院を出ないでいらっしゃるので、伺わない人はいない。





御産養、三日は例のただ宮の御わたくし事にて、五日の夜は、大将殿より屯食五十具、碁手に銭、椀飯などは、世の常のやうにて、子持の御前の衝重三十、児の御衣五重襲にて、御むつきなどぞ、ことごとしからず、しのびやかにしなし給へれど、こまかに見れば、わざと目なれぬ心ばへなど見えける。宮の御前にも浅香の折敷、高坏どもにて、粉熟参らせ給へり。女房のおまえには、衝重籠三十、さまざましつくしたる事どもあり。人目にことごとしくは、ことさらにしなし給はず。





ご出産のお祝いは、三日は、例により、ただ宮家の内々のお祝いで、五日の夜は、大将殿から、屯倉五十具、碁手の銭、椀飯などは、世間普通の通り、子持ちの、中の宮の御前の衝重三十、赤ん坊のお召し物は、五重襲で、おむつなどは、大げさでないよう、目立たぬようにしたが、丁寧に見ると、特別見慣れない趣向もあった。

宮様の御前にも、浅香の折敷、高坏の数々を並べて、粉熟を差し上げた。女房の前には、衝重は、いうまでもないこと、檜破籠三十、色々と、手を尽くしたご馳走がある。

人目につかないように、わざとはしないのである。






七日の夜は、后の宮の御産養なれば、参り給ふ人々いと多かり。宮の大夫をはじめて、殿上人上部達、数知らず参り給へり。内にも聞し召して、「宮のはじめておとなび給ふなるには、いかでか」と宣はせて、御はかし奉らせ給へり。





七日の夜は、后の宮のお祝いで、伺う方々がとても多い。中宮職の長官をはじめとして、殿上人、上達部、数えきれないほどが、お伺いした。帝もお聞き遊ばし、宮が初めて、大人らしくなるのに、どうして放っておけようと、おっしゃり、御守り刀を上げた。