生きるに意味などない183

ジームソンの主著の標題をなす「言語の獄屋」という表現は、文化の本質的(否定的)側面を見事に描き出す。第一次的存在分節から第二次的存在分節への転移は、まさに言語を生起するものだからである。いまここで問題にしている第二次的存在分節とは、要するに、言語的意味表象の鋳型を通じて存在のカオスを様々に区切り、そこに成立する意味的分節単位の秩序として、第二次的に「世界」を組み立てることにほかならない。言語こそ人間を動物一般から超出させるものだ、とレヴィーストロートが言っている。「自然」と「文化」との間の境界線は言語なのである、とも。

筒井


当たり前のことを、このように、難しく言うことが、言語化である。

と、笑ってしまう。


文化と自然を対立させて、言いたいことを言う。


つまり、文化の非自然性、反自然性について、云々。


ソシュールは文化を恣意的ということで、根本的に規定しようとした。


自然的必然性を持たない言語記号によって、人為的に有意味性を賦与された事物・事象の第二次的存在分節体系を、彼は「文化」とする。だが、ソシュール自身の、この決定的に重要な記号的文化論の真相は、概に丸山圭三郎氏の委曲を尽くした研究によって明らかにされているので、ここでその問題の仔細に入ることを、私は避ける。ただ、以下で同じ問題を、東洋哲学の立場から取り上げるための序論として、次のことだけを簡単に再認識しておきたいと思う。

筒井


いやいや、もう、結構である。


結論は、

言語をもち、文化に生きる人間は、ほとんど運命的に、生の自然から疎外されている。存在世界を一つの「象徴の森」として経験いる人間には、象徴の意味体系の彼方なるものにじかに触れるすべはないのだ。

筒井


生きるに意味などない、という、エッセイを書く意味が、ここにある。


こうして、とんでもないところまで、話しを進めて、生きる意味を見出そうと、必死の人間の、有様である。


兎に角、新しく、物事を知るというのは、生きる意味意識を求めているのである。

そして、それが、難しい話であれば、在るほど、説得力がある。


それが、哲学、思想、そして、おまけに宗教である。


呆れるし、あんぐり、である。


「自然に与えられたままの」事物・事象と思い込んでいる客観的対象は、実は、意識の「根深い幻想」機能に由来する意味形象の実体化にすぎない、ということでもある。

筒井


いや、何もかも、幻想であり、妄想である。


何せ、私と言う、存在も、本当は、良く解らないし、本当に、私と言う存在が、在るということさえ、解らない。

私も、幻想、妄想の類である。


目の前に広がる、風景も、それである。


何一つ、確実にことはないと、知る事。

それが、仏陀が言う、悟り、なのかもしれないと、私は言う。


ついでに、その悟る、私の存在も、無い。

空・・・


ところが、日本の、もののあはれ、という、心象風景は、すでに、それらの、無も、空も、超えて、受け入れていた。

それを、それとして、地図があっても迷う、という、粋を生きて来たことが、解った。


私の努力の末である。


迷った振りをして、生きるのが、粋なのである。

そういえば、誰かが、粋についての、哲学的考察をしていた。

昔、読んだ本の中に、あったはずであるが・・・

思い出せない。


九鬼修三・・・という人か・・・


どうでも、いいこと。


こうして、延々と、哲学的考察を読んで行くとは、ただ、死ぬまでの暇潰しなのである。


このところ、歴史、特に、日本史の室町期を調べていて、とても、時間が取られている。


国を愛して何が悪い、という、別エッセイに書いている、日本の精神史である。そこで、ただ今、室町期を書いているが、どうも、室町幕府というのは、鎌倉、江戸幕府とは違い、朧気なのである。


そこで、もっと、室町期を俯瞰するということで、歴史学から見る、室町時代を調べている。


どうも、現代の時代性に近い、変化、変容の様がある。


と、いうように、死ぬまでの、暇つぶしは、尽きない。


筒井氏の、論説の最初は、翻訳についての記述だったはず。

諸言語の有様、云々・・・


それが、果たして、うまく行くのか・・・である。


諸言語の一つ一つが、それぞれ、独自の現実分節の機構を内臓していて、それらを、人間的経験の色々な次元において、整合し、そこに、一つの多層的意味構造を作り出す・・・


そんな、当たり前のことを、何故、こうして、延々と説明するのか、である。つまり、学者とは、研究家とは、それが、生業なのである。

食うための、手段だから、彼らを、責めることは出来ない。


大学の教授連中も、そのように、生業なので、やっている。そこで、それが、楽しいのである。

難しい言い方を、楽しむという、性格である。


とても、良い性格だ。

呆れるが・・・

ご苦労様、です。