日々の言い分547

しかし、なぜ日本のメディアでは、 本当に重要な内容は報道せず、調べれば誰でも分かるような薄っぺらい内容ばかりを報道しているのでしょうか?


なぜなら、日本のメディアは「中国を敵視しない」という中国との記者交換協定を結んでいるため、仮に、日本に反中国的な情報が入ってきたとしても、中国寄りの情報を信じさせられたり、意図的に偏向報道を流すなどしており、本当に重要な情報は入ってきません。


なので、日本のテレビや新聞などを見ていても、本当に重要な情報は隠されたままということ。つまり私たち日本人は、目隠しされた状態なのです。


『私たちはやっと気付き始めた。思っている以上に、すでに中国(の工作)は、私たちの社会に溶け込んでいる』


CIAの前中国担当局長のクリストファー・ジョンソン氏はこのように述べています。


それは、まさに国益を巡る「情報戦」がすでに世界各地で繰り広げられており、世界のパワーバランスからしても「中国(中国共産党)が何を企んでいるのか?」という視点抜きには世界情勢を語ることはできないのです。


こんな状況にも関わらず、知るべき情報、自分たちの生活、未来に影響のある情報が伝えられないまま、、、


昨年には、日本の経済界のトップらは約230人を引き連れて訪中をし、中国に迎合したり、 習近平を令和初の国賓に選定したり(さすがにギリギリで〝中止〟ではなく〝延期〟となりました)など、全くと言っていいほど危機感がありません... 


そんな甘い態度を取っている矢先、 新型コロナウイルスは、あたかも日本が拡散しているかのように世界中で報道され、日本人の入国を規制したり、ビザの発行を止めたり、日本人を差別したり暴力を振るったりなど、世界各国から日本人を排除する動きも発生しました。


WHO(世界保健機関)は2020年3月2日の会見で、 新型コロナウイルスの感染が広がっている日本を、「最も懸念される国」のひとつに挙げました。 一方で、中国に関しては、感染が収まってきて安心だと。


日本は被害者であるにも関わらず、日本で何の罪の無い人の命が奪われているにも関わらず、日本政府の甘い対応のせいで、いつの間にか被害者から加害者にすり替わっている訳です。


日本が今のまま中途半端な立場を取り続けたままだと、イタリアのように、中国共産党の思うままに利用され、気づいた時にはアメリカ・EU諸国に見放されるという最悪の展開が待っているかもしれません…


もうそんなのはやめにしませんか?いつまでもやられっぱなしでいるのは、もうやめませんか?


上記の書き込みを読んで・・・


日本人、その国民は、お人好しなのである。

それは、日本が、列島という、島国だから。


大陸は、地続きで、何かと、隣国の影響を受けるが、日本は、歴史的に、あまり、そのようなことはなかった。


だから、お人好しは、悪い事でも、良いことでもない。

ただ、そのような、民族性だということ。


さて、しかし、今の世界は、もう、船舶、飛行機などで、極めて、狭くなった。とすると、日本人も、そろそろ、その世界の状態を受け入れ、理解しなければならない。


そのため、隣国、朝鮮半島、中国には、真剣に対応すべきだ。


更に、東アジアは、日本以外の国は、反日である。

妄想の歴史を作り上げて、反日教育をしている。


それを踏まえて、対応することになる。


日本のマスコミは、中国、朝鮮に関しては、実に、寛容である。

そして、逆に、日本に対しては、非寛容、排他的である。


何処の国の、マスコミかと、思うほどに、やられている。

つまり、それは、在日ゆえのことだと、思う。


在日中国人、在日南北朝鮮人に、やられているのである。


やられているという、感覚も持たないのかもしれないが・・・


敵である。

それを明確にしておく必要がある。


どんなに良い人でも、在日は、在日である。

彼らは、祖国に対しての、気持ちがある。

当然だと、私も、思う。


祖国を捨てても、それは、矢張り、祖国なのである。

そこで、日本に対して、反日になる。


それでも、祖国に戻らないのは、祖国より、日本の方が、居心地がいいのだろう。あるいは、日本で、成功している。あるいは、日本を食い潰している。


日本の行政も、在日に対して、寛容である。

逆に、日本国民に対しては、威を笠に着る。


私も、それをつくづくと、感じている。


まあ、それも、時間の問題で、そろそろ、在日が敵であるという事を知る。

ようやく、推古天皇の頃から、朝鮮半島から来た人たちを、敵であると、覚悟する時期が来た。


日本にも、歴史があり、国難を起こしてきた人たちは、おおよそ、在日であることが、解って来た。


日本支配を企むのは、在日である。


ここは、日本であり、日本人の国である。

それを、明確にする時期が来た。