神仏は妄想である591

ゴーマタ・シッダッタは、29歳の時、出家して、遍歴修行者となった。


これは、当時の常識で、道を求める人は、出家して、遍歴修行者となった。


出家とは、簡単に言えば、セックスをしない者になることである。

これを、よく覚えおくことだ。


アーラーラ・カーラーマと、ウダッダカ・ラーマプッタという、二人の仙人を歴訪して、禅定を修めたが、その修行に満足することが出来ず、山林に籠って、修行した。


ここで、仙人に付いたという。

つまり、ある程度の、道を知る人である。

ところが、満足しなかった。


いやいや、その前に、出家したということだ。

王子の地位にいた者が、出家するなど、大変なことだったと思う。


つまり、王家を捨てたのである。

だが、あまり驚かないのは、もし、途中で引き返しても、王子に戻るだけ。


タイなどでは、一時的に、出家するのは、今も同じである。

だから、当時も、まあ、その程度の感覚である。


伝説には、夜に、城から逃れたとあるが・・・


一時の気の迷いと、判断されたかもしれない。


そして、仙人である。

仙人は、別名、仏陀と呼ばれていたかもしれない。

つまり、悟った人である。


当時は、悟った人は、山ほどいた。


何せ、自己申告であるから、私は、悟ったと言えば、それで、悟った人になる。ただし、有名にならなければ、ただ、無名のままである。


宣伝が必要だった。


山林に籠った、シッダッタは、

そこにいるわたくしに対して、獣は近づき、孔雀は樹の枝を落とし、風は落葉を吹き動かした。そのときわたくしは次のように思った。「実にかの恐怖とおののきとが迫って来るがままに、その恐怖やおののきを排除すべきではないか」と。かくてわたくしが、そぞろ歩きし、立ちどまり、坐し、横臥しているときに、その恐怖とおののきとを除去した。


とのことだ。


そして、六年の月日が流れた。

一度も、元に戻ることは、考えなかった。


それは、偉いことである。

王子の身分に戻る事は、しなかったのである。


日本仏教の僧侶たちの子息は、王子のような生活を、はじめからしている。呆れるほどだ。


その苦行は、ただ、痩せ、肋骨が見えるほどのものだった。

しかし、悟ることは、出来なかった。


そこで、苦行は、無意義であるとの、意識である。

要するに、苦行しても、駄目だ・・・


伝説には、ネーランジャラー河に浴して、村の少女が捧げる、乳で炊いた粥を食べて、元気を回復したと言う。


彼と一緒に、五人の友人が苦行を修めていたが、彼らは、その光景を見て、ゴータマは堕落したと、彼を捨てて、ベナレスへ行った。


その後、ゴータマは、ガンジス河中流の南方にある、ウルヴェーラーという村で、後の、ブッダガヤーと呼ばれる所で、菩提樹の下、沈思黙考して、悟りを開き、覚者となった。


覚者、つまり、仏陀である。

その時、35歳。


では、その悟りとは、何であったのか・・・

それが、問題である。


後に、多数の経典が出来て、その教えなるものが、散々に説かれる。

呆れる程に、多い、教えというもの。

そして、それが、分派して、仏教といっても、ピンからキリまである。


ちなみに、分派して、論戦するという行為も、仏陀が嫌った行為である。

後の、仏教徒たちは、どれもこれも、仏陀の嫌ったことをやった。

つまり、裏切りの連続である。

勿論、現在の仏教徒と称する人たちも、である。


本当の仏陀の、言葉が、後になると、全く別物になったものもある。


さて、仏陀は、ベナレスに赴く。

何故、自国ではないのか・・・

また、自分の城ではなかったのか・・・

不思議だ。


ベナレスは、古来ヒンドゥー教の聖地である。

ガンジス河の岸には、多数の寺院があった。


その郊外の、鹿の園、鹿野園、ろくおんや、において、旧友五人を教化して、ここで初めて、教団が成立した。


そこで、教化活動が開始された。

何故・・・


母国に行かずに、何故と、私は疑問に思う。

わざわざ、ヒンドゥー教の場所で・・・


雨期の時期以外は、常に、各地を遊歴して、教化を行ったという。


ちなみに、伝説では、ゴータマは、悟った時に、そのまま、死を考えた。

それは、そんな教えを、人は理解出来ないし・・・無理と思ったが・・・


梵天が現れて、教えを伝え宣べることを、奨励した。

この、梵天が曲者である。


梵天とは、魔物である。


ヒンドゥー教の神である。

インドの神に、ロクなものが、いない。

殆ど、化け物である。


ここで、明確にしておくことがある。

インドの神、その他の、神という観念は、日本の神の観念とは、全く、別物である。


日本の神は、簡単に言えば、先祖である。

あるいは、祖霊のことを言う。


神、という言葉だけで、同じであると、勘違いする者たちが多いので、明確にしておく。