日々の言い分569

メイン・ブログに、もののあわれについて、を書き続けて、いつに、1000回を達成した。


達成とは、希望ではない。

いずれは、1000回になると、知っていた。


それにしても、死ぬまで書き続けるという、根性である。

勿論、死ぬまでの、暇つぶしである。


その他も、多々、ブログで書いている。


御覧の通りである。


もののあわれについて、は、ただ今、源氏物語である。

それが、終わると、新古今集に行く。


そして、その先も、延々と続く。


こうして、続けることが、成功であるし、私を私が、信じることが出来る。

何せ、続けると決めて、続けられないとは、私が、私を信用出来ないと言うことになる。


金には、ならない。

金にならないことをして、続けている。


さて、ブログは、一日、150人ほどが、見ていた、読んでいてくれた時期があるが・・・

ただ今は、数名である。


その一つは、中国、韓国に対する、批判、非難をすると、検索で削除されるということだ。


それは、打倒・韓国、を書いた時に、実感した。

検索から、消えたのである。

つまり、消した者がいるということだ。


まあ、そんなことは、どうでも、いい。


私は、私のために、書いている。

ただ、それだけ。


勿論、他のブログも、そうである。


神仏は妄想である。死ぬ義務。生きるに意味などない。まだある・・・


だが、一時中断しているものも、ある。

性について、である。


色々と、書いてきたが、どうも、思考が拡散してきた。

性同一性障害あたりまでは、何とか、書いたが、新しい、ゲイ、レズビアン等々の、人類学からの見方を書いていると、あまりに、広げ過ぎたという、感慨である。


人間の性とは、実に、不思議なもので、一筋縄ではゆかない。

それは、最初から、逸脱しているからである。


正常という性の、在り方はない。

人間の性は、すべてが、異常である。


だから、拠り所がない。

私も、それを判定できない。


それで、また、基本に戻り、性とは何か、ということになる。


これほど、捉えにくいものはない。

セクシャリティなどと言っているうちが、花である。


神が一人一人のように、性も、一人一人なのである。


千差万別・・・

呆れてしまう。


だから、正しい性、などいう議論は、出来ないのである。


さて、もののあわれについて、1000回で、次の、2000回に向かう。

おおよそ、十年ほど書いたので、2000回の前に、死ぬこともあると、考えている。


それは、私に意味があったのか・・・

実は、無いのである。


頭が悪いせいか、意味がない。

意味を見出せない。


ただ、現代文より、原文の方がいいという、だけの話。

何せ、原文を読んでいると、次第に、精神が落ち着く。


不思議である。

これは、大和言葉に、なにか、特別な音色があると、思っている。


そして、頭の中が、何となく、整理される。


整理といえば、人間は、生理で生きている。

生理が、人間の人間である意味。


どんなに悲しくても、糞、小便が出る。

それは、精神、感情に関係なく、である。


喜怒哀楽が過ぎて、糞も、小便も出なくなったとは、聞いたことが無い。


そして、糞、小便が出なくなると、死ぬ。


実に、簡単なものである。


自殺する人がいるが、いつも、糞、小便を我慢してみて、と言いたくなる。

そのうちに、死ぬ気が失せるような・・・


絶対、我慢できないはずだ。

必ず、糞も、小便も、漏らすはず。


大人になっても、漏らす人がいる。

勿論、老人は、いつも、漏らしているが・・・


ということで、生理を考えつつ、もののあはれ、の風景を見ている。


平安期の人間も、今の人も、大差ないのである。


人間とは、哀れなものである。

整理から、生理の話になった。

酷い、エッセイである。