2018年、メットライフ生命保険の調査で今の日本人は「長生きを望まない」という統計が出たことを時事ドットコムが報じたことがあった。全国の20歳から79歳の男女1万4100人に調査したところ、全体の41.2%が「長生きしたくない」と答えている。
若年層は「80歳まで生きたくない」と考える人がかなりいて、「何歳まで生きたいか」との問いに20代男性は78.1歳、20代女性は76.9歳が平均になっていた。
しかし、このまま医学の進歩が進んでいくと、彼らこそが最も長生きする世代になり、平均寿命は90歳にまで上昇していく。
長生きする物質の発見、癌治療の進化、手術の高度進化は人間をより長生きさせる。こうした長寿医療が実を結ぶのがあと20年後くらいになるからだ。
そのため、団塊の世代、そして団塊の世代ジュニアが高齢層のピークを過ぎた後も、高齢者問題は一向に収まらない可能性が高い。高齢者問題はさらに危機的なものになっていくはずだ。
長生きできても、カネは自動的にどこかから湧いて出てくるわけではない。だから、高齢者問題は貧困問題と直結し、「社会的コスト」になって跳ね返り、社会を苦しめる大きな問題となる。
そんな中で、あと10年から20年もすれば確実に社会的議論になっていると思うのが「安楽死」「尊厳死」の権利の主張である。
日本人は「死」から目を背けており、こうした議論を正面切ってすることを好まない国民性を持つが、恐らく高齢者自身が「安楽死を認めよ」「尊厳死させてくれ」と主張するようになって、社会はそれを無視できないことになるはずだ。
いずれ日本は「長生きリスク」への対応を迫られる
自分の死も自分でコントロールしたいという人も確実にいる。体力的に動けなくなり、立てなくなり、意識も混濁し、食事も自分で取れなくなり、それでも生き続けることを可能にするのが現代の医学である。
皮肉なことに、長生きすることのリスクは、安楽死や尊厳死のように自分の死を自分で合法的にコントロールできるようになると、かなり低減する。
日本人がそれに気づくのはいつのことになるのだろうか? もしかしたら、そんな遠い話ではないのかもしれないが、最初に主張する人は「生命を軽んじている」と袋叩きに遭うだろう。
しかし、現状を見ると、日本人は長生きし過ぎるリスクの対応と解決をいずれ迫られる国になるのは必至だ。
上記の書き込みを読んで・・・
日本の平均寿命が高いのは、ただ、管で生きている人を、含めるからだ。
本当は、それから、10年ほど引いた程度の、寿命である。
さて、長生きを奨励する考え方は、命と、寿命を、一緒に考えている。
生命を軽んじるな、とは、長く生きろということではない。
人間は、長く生きることが、生命を大切にするということではない。
いのち、とは、伝えて行くことである。
伝えることが、大切なのであり、長く生きることではない。
死ぬ時節には、死ぬことである。
だが、その時節が、長くなるというが・・・
医療の生成発展により、死ぬことが、遅くなったという程度であり、もし、医療を拒否すれば、死ぬ。
長く生きる必要はないとは、医療の必要はないということと、同じだ。
何事も、ほどほどが、いい。
若い人が、長く生きる必要はないと、考えていることは、よいことである。
別エッセイに、死ぬ義務、を書いている。
何も、死ぬ義務と、言わずとも、人間は、生まれた時から、死に向かって、生きている。
義務というのは、無暗に、生きる必要はないということを、言う。
長く生きて、世の為、人の為に、何かできるならば、意義があるが、自分のために生きたとして、何の意義があるのか。
勿論、ただ、生きているだけでも、意義のある人はいる。
例えば、御一人、と称される、天皇陛下のような、存在である。
それは、御一人であるから、ただ、一人程度で、いいのである。
その他、下々は、それほど、長く生きる必要はない。
無益に生きるということである。
更に、上記の書き込みのように、高齢化が、社会にもたらす影響は、実に大きくなるだろう。
尊厳死、安楽死の議論は、もう、必要不可欠である。
特に、死にたい人は、死ぬべきである。
それが、生命軽視の思想ではない。
死という価値があり、生きることの、意義がある。
更に、飛躍するが、人間の救いは、死ぬことによって、得られる。
何せ、生きるに意味などない、のである。
それも、別エッセイに、書いている。
実際、生きているだけで、儲けものだが、生きているだけで、疲れるのである。
そして、生きていることが、健康に一番、悪い。