死ぬ義務62

支配者の側は、派閥抗争に明け暮れながらも、いまだにわれわれを指導しようとしている。われわれが弱音を吐いたりすると、さっそく驚いて痛みいったり、憤慨してみせたりするという奥の手を持ちだしてくるのだ。自分から姿を消してしまう自由、つまり自殺の権利を行使する人間の数は、日一日と増えている。これはまじめな話だ!だが自殺を嘆かわしいものとして(社会学、宗教、医学の立場から)論じるのは許されるが、見方を変えて、自殺賛成などと言いだしてみろ、とんでもないことになるから。

支配者というものは、ついさっきまでハーグの原子炉廃棄物の再処理問題とか、ピエラット(原子力発電所)における地震の可能性とか、中性子爆弾についてまことしやかなウソをこねくりまわしていたのに、こと自殺の問題となるとがらりと態度を変えて、しかめっつらをつくり、自覚がないとか、無責任だとか、残された者の迷惑を考えよ、などとしゃあしゃあと言ってのけるのだ!


自殺は存在する、これは明白な事実だ。だれが自殺しても、まわりの人はいずれ慣れてしまう。だが、お願いだから沈黙を!支配者は、腹の底でこう思っているにちがいない。死というのは深刻なものだ。そう軽々しく自分勝手にしまつされては困る。そんなに死にたいなら、まあ待て、そのうち大義名分でもひねりだして、許可さえあれば死ねるようにしてやろう。

自殺 クロード・ギヨン イブ・ル・ボニエック


実に、面白い書き出しである。


端的に、自殺についての、考察をしている。


自殺は、建前では、悪である。

だが、本音は、善でもある。


私のように、死にたい人は、死になさい、と言うと、えっ、と思われるだろう。何せ、自殺は、良くない。自殺は、駄目だと、教え込まされたのである。


何故か・・・


簡単に死ぬな、である。

生きるに必死な人たちが、そう簡単に死なれては、困るのである。


そして、一部の、偽善者たちが、また、アホ面で言うことは、自殺は、罪である。そして、それは、最も、命というものを粗末にする行為である、と。


果たして、本当にそうなのか・・・


自殺とは、自死である。

自分で死ぬことが、自殺である。


しかし、世界を見まわして見ると、自殺に近い、殺人が、あまりに多いことに気づく。


戦争で、大量に人が殺されることは、推奨されるが、たった一人が自殺すると、世の中が、ざわめく。


そして、その自殺は、次の自殺を誘発する。

つまり、人間は、自殺をする動物であるということだ。


他の動物は、自殺をしない。

それは、本能があるからだ。

人間は、本能を壊した、動物である。


だから、自殺をする。

それは、人間の、大脳化である。


大脳が、あまりにも激しく発達したことで、自殺をする、動物に格上げされたのである。


更に、もう一つは、大脳化が、幻想と、妄想をもたらした。


この世が、すべて、幻想と、妄想で、満ち溢れたのである。


おかしくて聞いていられるか!死ぬ時期と方法は自分で決めるのだ。なにも原子力なんか必要ではない。しかし、世界のいたるところでこれほど虐殺がさかんなのだから、地球的規模で考えてみると、虐殺もやはり人類の一種の自殺なのだ。いや、それだけではない。今日ほど集団的な暴力がもりあがり、国家の暴虐に犯行している時代はあるまい。核エネルギーに反対して、反抗のエネルギーが燃えているのである。確実に自殺できる方法がわかれば、それも強力な反抗の武器となるだろう。

「ほとんどの人間にとって、人生は抑圧とためらいの連続である。光に多くの影がつきまとっているように。つまるところ人生は不条理であり、いつかは死ぬ覚悟を決めなければ、生きる歓びを味わうこともできないものだ。

ロベルト・ムジル

自殺より・・・


さて、自殺を語るのに、原子力とか、虐殺とか、国家の暴虐という言葉が溢れている。


フランス哲学の、何やら、楽しい考え方である。


そして、

いつかは死ぬ覚悟を決めなければ、生きる歓びを味わうこともできないものだ・・・


とは、実に、面白い言葉だ。


仏陀が悟った時に、まず、自殺を考えた。

それは、この悟りを伝えることは、出来ない。無理だから、死ぬしかない。死ぬことだ、と。


伝説であるが、それも、面白い。


つまり、人に伝えることが出来るシロモノではない、という、悟り、というものだから・・・と、考えた。


ところが、仏陀は、生きて、教えを伝えた。

何の、冗談と思うが・・・


魔の梵天が現れて、教えを宣べ伝えよと、言ったとか・・・

梵天とは、インドの神である。


インドの神は、魔に決まっている。


だから、その話は、伝説である。


さて、これから延々と、自殺についてを、書くが、私の考えも書くことにする。

自殺という書籍から、紹介ばかりするのではない。


自殺を肯定的に、取り上げる。

これは、実は、偽善者たちには、恐ろしいことである。

何せ、彼らを敵に回すことになるほど、自殺の肯定は、恐ろしいことなのだ。


自殺してもいい、とは、あまりにも、世の中を馬鹿にしている・・・

自殺とは、世の中の否定であるから。


そして、自殺によって、この世は、終わる。

この世が終わるとは、自殺することによって、成就するのだ。

そして、私が、それを終わらせることが出来る。