死ぬ義務63

民主主義の時代だ、われわれは耳にタコができるほどそう聞かされてきた。すべての権力は民衆にある、と。この考えはペリクレス時代のアテネに生まれたものだが、そこでは女性とか奴隷は、都市生活には参加していなかったのだ。そんなことぐらいはだれでも知っている。民主主義とは、はじめから権力に都合のいいようにしくまれた言葉なのである。


民主主義は19世紀に産業ブルジュワジーが選んだ、抑圧の手段にすぎない。左翼の民主主義者が考えているような、「真の」、「良い」、「現実の」民主主義なぞ、どこにもありはしないのだ。そもそも投獄された革命家(ドイツ赤軍やスペインで政府に抵抗した人たち)を暗殺してしまうような政体が民主主義だなんて、左翼の連中にしてからがそんなレッテルをいともやすやすとつけてしまうとはなにごとか!民主主義は、まるでペストのように広がっている。

自殺 より


これは、生きる権利があるのに、死ぬ権利がないという、毒舌に支えられてある、著作者の、激しい言葉である。


つまり、その裏は、皆、化け物に似たものということだ。


私有財産を否定する、共産主義者たちの、その私有財産、蓄財している金の額を聞いて、驚くだろう。


中国政府の、幹部たちのみならず、日本共産党の、その幹部たちの、姿を見ても、共産主義など、何処にも見当たらない。


そして、民主主義である。

これも、実に、捏造の最たるものである。


左翼の民主主義者が考えている、民主主義など、ありはしない。さすがである。

見抜いている。


民主主義という、言葉に、やられる、他愛のない人たち・・・

大嘘の主義と、主張である。


本当に、民主が主体なのか・・・

何処の、民主主義を見ても、そんなものは、無い。

ただの、妄想である。


選挙・・・民主的・・・嘘である。


騙されて、選挙に出掛けるのが、関の山。

そして、騙されて、惨めな生活をしている、民主主義国民たち。


世の中は、呆れることで、溢れかえっている。


自殺をするなら「自殺する権利」が認められるまで待てばよかったのに、と同情してくれる人も出てくるだろう。だが、どうしても制止できないとなると、今度は自分たちが許可を与えているのだという顔をする。これが支配者のやり口なのだ。・・・

自殺 より


支配者と、被支配者の関係・・・

実に、面白い、世の中である。


一部の支配層が、多数の非支配層を、支配する構図。

滑稽ではないか。


さて、日本人とは違い、フランス人の作者であるから、饒舌である。

あちらは、饒舌が得意技であるから、語らせると、漫才、落語のように、面白い。


それが、死ぬ義務、と何か、関わりがあるのか・・・

あるのである。


死ぬ、という現状も、この世の中の関係とは、無ではない。

人間は、社会的動物である。


自殺も、その社会の中で、評価され、批判される。

勿論、死人に口なしであるから、何を言われても、答えることは、出来ないが。


だが、死、という、その前には、沈黙という、恐ろしい状態が広がる。


残念ながら、われわれはすべてが欲しいのだ。危険もなく金もかからぬ妊娠中絶、だれにも気兼ねのいらぬ快楽、そして死ぬときは確実で安楽な死に方を。自由には値段がない。だからわれわれは苦痛だけに値段があって、金を払えと言われるのはイヤなのだ。自分で死を選ぶ権利を盾にして、われわれから生を盗む者と闘っていこうではないか。

自殺 より


これは、序文である。

つまり、前置き。


堂々と、自殺の権利を謳う、著作である。


現状は、フランスのことだけを、取り上げていると、書くが、まあ、何処の国、何処の国民にも、大半は、当てはまる。


私の意見を言う。


安楽死も、尊厳死も、つまるところ、自殺である。

どのような言葉を当てても、自殺と同じだ。


だから、死ぬ権利が必要なのである。

そして、死ぬ義務、を持つことなのである。


死を意識出来ない人間の言葉など、聞けようか・・・

聞くに値しないのである。


遺言に力があるのは、死者の力である。

辞世の句に力があるのは、死者の力である。


日本の伝統には、辞世の句を詠む、という、誠、正しい、伝統がある。

しかし、今の人たち・・・


辞世の句、など、詠むことが出来ない程の、体たらくである。


勿論、私も、その中の一人として、こうして、しようもない、言葉を書き連ねている。


自殺はペストのように広まっている。ほかの病気と同じように心の病が、人を殺しているのだ。自殺が伝染病だと考えれば、話は簡単だし、納得もいく。ほかには説明のつかないことも、これで目に見えるイメージとなるわけだ。それにこれは「科学的」な考えではないか。・・・

自殺 より


いよいよ、本題に入る、著作である。


再度言うが、これは、すでに、1983年4月に出版されている。

すでに、読んでいる人が多数いるはずだか・・・

すぐに、忘れたか・・・きっと・・・

いや、もう、死んでいるのかもしれない。