死ぬ義務64

しかし、なんのことはない、ほんとうは現代の医学をもってしても自殺のメカニズムを解明できないものだから、ただそのばしのぎに感染という考え方をもってきただけのことだ。・・・

自殺 より


昔から感染の張本人として、非難が集中するのは、新聞雑誌の類である。ジャーナリズムが騒ぎ立てるから、まねする者が出てくるのだ。新聞が人を殺すのだ、と。それなら話は簡単だ。・・・

自殺 より


さて、日本でも、今年は、芸能人が、相次いで、自殺した。

そこで、それに感染して自殺した人は、いたのか。

きっと、いたはずである。


マスコミが、それを書き続けると、自殺が増える。

だが、その自殺が、他殺だと言う、物好きな人もいる。


実際、自殺が、他殺を思わせる、自殺というものも、多数ある。


自殺の報道は、規制すべきだと言う人もいる。

感染するからである。


自殺した人の葬儀に出て、自殺を考えた人の、相談を受けたことがある。

何か、自分も自殺をするのでは、という相談である。


一種の神経症であるが。

不安感が、そのように、思わせる。


自殺願望があるが、矢張り、死ぬのは、怖い、恐ろしいのである。


その場合は、死んで終わりではない。

死後の我が身の、想念が、怖いである。


つまり、死んでも、生きていると思う心の、悲しさである。


勿論、私の霊学からは、死ぬと、幽界に向かう。

つまり、想念は、残る。

その想念が、形になるものを、幽霊というが。


さて、自殺である。

自殺は、周囲の人に大きな影響を与えることは、事実である。


そして、それらの人たちに、自殺と、生きる、ということを、考えさせる。


害悪を流す考え方ほど、早く広がるものはないのだ。

自殺 より


この、自殺の著書は、実に、饒舌に語るが、私は、その随所を抜き書きしている。

私に必要な部分だけを、取り出している。


突然だが、自殺より、


この雑誌がある若い女性の自殺をデカデカとトップ記事にしたために、心底から絶望したある女性読者が、またもやパリのマルカデ通りで自殺してしまったのである。彼女はプティ・パリジャン誌に載ったイラストそっくのの場所を選び、この罪作りな雑誌も目立つ所に置いて、「わたしを殺した真犯人はこの雑誌なのだということを、白日のもとにさらけ出した」といのである。

と、ある。


人間の意識とは、不思議なもので、実は、自殺に憧れている場合が、多々ある。

だから、何かの誘いを待つ。

そして、誰かが自殺すると、それに乗る。


特に、芸能人などは、乗せやすい。

だから、自殺は、連鎖すると言う。


良い悪いの、問題ではない。

世の中とは、そういうものだということだ。


日本は、自殺の多い国である。

そして、年齢が低い層にも、それが、顕著に現れた。

そこで、命の尊さ、などという、本が書かれたが。


死ぬなよ・・・ということだが・・・

私は、命の尊さより、寿命と、命の違いが、問題だと言い続けている。


勿論、少年少女が自殺するのは、辛い。


今年も、続けて、高校生くらいの少年が、鉄道自殺をした。

すると、翌日も、更に、その翌日も、である。


死ぬことを考えていたが、その時期を待っていたからのようである。

それに対して、大人は、恐怖を覚える。

だから、命の尊さなどいう、嘘くさい話を始める。


この日本では、どういう訳か、命、命と、実に、煩い。

管の人は、安楽死が相応しいなど言えば、レイシストとか、生命軽視の云々となる。


実際は、必ず死ぬのだが・・・

建前として、命の尊さ、である。


世界を見まわすと、バタバタと人が死んでいるが・・・

平和だと、勘違いしている、日本人である。


北朝鮮から、ミサイルが飛んできて、人が死ぬまで、平和だと、信じ込む人が多い。


勿論、北朝鮮のミサイルや、核兵器は、飛んでこない。

あれは、ヤラセである。

恫喝するための、道具である。


自殺のウイルスを発見しようとしてここ10年、血眼になっている研究者たちのすばらしいお説というものを、いちいちごもっともと信じこんでいたら、何冊も本を書かなくてはいけなくなる。

自殺には治療も予防も効果がないのだから、科学を誇るいろいろな説が花火を散らしているうちに、確実なものは自殺だけ、ということにすらなりかねない。なに、こんなことは今に始まったわけでもないのだ。自殺についてはいつの時代にも幻想とか固定観念があった。

自殺 より


幻想とか、固定観念・・・

そうだ、固定観念である。


実は、自殺は、生きるに必要な、一つの方法なのである。

つまり、生きるために、自殺するのである。


生きることが、幻想、妄想であるなら、自殺も、そうなのである。

話は尽きなくなる。