国を愛して何が悪い264

室町時代とは、祇園会山鉾巡礼の成立と、大文字送り火の成立時期にはさまった一世紀、十五世紀の時代をいうのである。それは南北両朝がようやく合一して、一世紀を通じて戦われた南北朝動乱が終息した三代将軍足利義満の治世から、義持、義教を経て、八代将軍吉正御台所富子までの時代、金閣から銀閣までの間、それが室町時代であった。

脇田晴子 室町時代


上記の定義で、話を進める。


更に、早島大祐著、室町幕府論、からも、勉強させてもらう。


伝統文化といった場合、脳裏に浮かび上がるのは、いかにも京都らしいと表現されるさまざまな祭礼だろう。そのうちの一つに葵祭があり、祇園祭、時代祭りとともに京の三大祭りとして、一般によく知られている。

早島


葵祭は、賀茂祭とも言われる。


賀茂祭は、光源氏の世の王朝の美を今に体現し、日本の伝統文化を伝えるものとして知られている。しかし、このようにいにしえの賀茂祭を憧憬する一方で、じつは賀茂祭の盛期の一つが室町時代であったことを知る人は少ないだろう。

早島


そこで、話しを飛ばして、現在、日本の伝統文化と呼ばれるものは、すべて、室町期からのものであること、だ。


私は、そこで、日本の伝統文化という場合は、千年を経たもの、万葉集と、源氏物語の、歌道こそ、伝統と言えると、日頃から、言う。


室町期は、精々、650年ほど前のことである。


まあ、それはそれとして、室町期を再確認することで、日本の精神史の、付録としたい。


じつは室町時代に辰興された儀礼・祭祀は、この賀茂祭だけに止まらない。現在も皇居で行われている諸儀式のなかにも室町時代に再興されたものが多いのであるが、にもかかわらず、応仁の乱による諸儀礼・祭祀の中絶が強調される反面、室町時代にこれらの儀式が執り行われていた事実にはまったく注意が払われてこなかったのである。

早島


その理解の元には、「逆臣」尊氏の室町幕府が、朝廷を壟断した、皇室衰微の時代であったという、皇国史観的な見方があったと言える。


だが、禅宗史、茶道史などでは、室町期のことについて、詳しく、歴史的位置づけが行われている。


だから、皇国史観以来の、空白が、埋め切れていないということが、言えるのである。


以前書いた通り、室町期に関して、再度の発見が必要であると、言う。


研究家たちは、室町期は、歴史のエアーポケットであったと、言うのである。

分析が必要なのである。


私は、素人であり、基本は、精神史なので、ざっくりと、俯瞰して、書いてみることにする。


それぞれの研究家の、課題とテーマ、方法は違うが、私のような素人には、あまり関係ないことである。


これは、論文ではない。

エッセイである。

そのつもりで、読むことだ。


室町時代の大きな特色として挙げられるのは首都京都の誕生である。鎌倉時代には武家の都・鎌倉と公家の都・京都というように、列島社会の核は大きく二つに分かれていた。しかし、室町幕府が京都に拠点を置いた結果、前代には二つに分散していた公武の政治の核が統合されることになった。そのためにこの時期の公武関係論が重視されてきたわけであるが、それだけではなく、社会も、首都京都を大きな核として再編されることになる。その再編の意味が顕在化してくるのが、義満によって南北朝の動乱が鎮められたとの義持の時代なのである。

早島


室町時代とは、実は、一筋縄ではいかない、時代の姿がある。


二毛作、三毛作の展開する肥沃な農村、市のにぎわい、港津の殷賑、それらに象徴される富が出現してくる社会という印象が浮かび上がってくる。その富をもつ人は、すなわち徳のある人と考えられ「有徳人」とよばれた。徳は得に通じ、仏神の加護により人徳があるから、富も得ると考えられたのであろう。

脇田


ところが・・・

その一方では、生業から追われた乞食を生んだのである。


巷では、乞食がたむろして、寺社門前には、土車のまま移動する、乞食がいた。

そんな状況は、「弱法師」「土車」など、能楽の題材となり、多少美化されて、演じられている。


寛正の大飢饉の時に、京都には、八万二千人以上の、死体が転がっていたといわれる。


餓死が溢れる、京都となっていた状況である。

そんな際も、将軍は、民を放り、贅沢な建物に執心して、ついに、天皇から、諫めのお歌、御製を送られるという、事態であった。


富のある人、乞食・・・

あまりに極端な、状況が、室町期にはあったということだ。


その開きが大きい時代、それが、室町である。


さて、室町中期、末期頃から、全国規模で、農村にも浸透し始めた、商品経済が、中世の伝統的な、荘園制社会を、崩し始める。


商品経済という影響は、見逃せないのである。

つまり、時代の変化が、目に見えて始まった時代である。


それまでの時代は、地主と小作人の時代という、枠組みがあった。

それが、変化して行くという、時代性なのである。


その変化が、民の心、精神に、また、変化を起こす。


精神史からは、見えない、新しい、精神の時代である。


それは、庶民の精神史ともいえる。

亀井勝一郎の精神史研究では、比較的、有名な人たちの、書き物から、行動を通して、精神の有様を見たが、庶民にまで、手が届かなかった。


いよいよ、庶民の登場である。