室町時代は、現代の商品経済社会の、始期であるという、事実には、驚く。
そして、それまでの、身分制度が、根底から、揺らいだ時期でもあるとの、指摘である。
室町時代は、古いものと、新しいものとが、交錯して、無秩序に見える。
が、それが、他の時代との、違いである。
漠然としている、時代性である。
だから、見えにくいと思われる。
全国を覆う、そして、国外にまで広がる、商品流通の時代は、律令国家以来の、中央集権的な政治、経済の構造を揺るがしてきた。
時代の、間にある、時代が、室町である。
実に、面白いのは、高い身分の領主が、貢納物として、諸国の物産を手に入れるのに対して、商品経済では、交換するものさえあれば、身分の如何を問わず、物資は、手に入るのである。
そして、その浸透により、身分よりも、富が優越する場合も、多々ある。
被支配身分の、町人、村人の共同体が、自治権を主張しだすのも、交換経済が作り出す、平等観念と無関係ではない。
封建的な身分では、領主身分の者しか、領地を所有することが出来ない。これに対して、金銭で買ったものなら、身分を問わず、誰でも、土地を所有することが出来る。
これは、画期的なことだった。
経済的優劣が、すべてを決定するということだ。
市民的所有の、論理である。
身分制度が、崩れたのではなく、その変化の度合いに相当する、新たな身分制が出来たのである。
それが、室町期である。
その、室町期があればこそ、戦国時代が存在する。
下剋上と言う時代である。
いよいよ、近代に近づく時代性の到来である。
当時の保守の公家は、武士は武士らしく、公家は公家らしくと、嘆いたそうだ。
つまり、鎌倉時代の身分のあり方を、良しとしていたのである。
だが、更に、室町期の最盛期の、義満の時代になると、事態はもっと進む。
義満は、位、人臣を極め、法皇の儀礼を受けている。
更に、正室日野康子を天皇の准母として、女院号を授けられている。
義満の意図するところは、天皇朝廷の絶対的地位の低下と、その相対化であり、天皇家と将軍家の、なし崩しの一体化である。
徳川幕府も、天皇家の動きをけん制したが、一体化を目論んだのではない。
天皇家の、封印である。
その歴史を見れば、天皇家の相対化と、同一化は、ある程度、達成された感がある。
後花園天皇の実父、後崇光院が、その日記に、将軍に対する恐怖の情を持っていたことが、記されている。
応仁、文明の乱がおこった時、将軍義政夫婦は、まず、正統性の象徴たる天皇を、我元に、迎えている。
ここでは、天皇は、夫妻の丸抱えとなっていたという。
色々と話はあるが、兎に角、天皇家は、将軍家に対して、恐慌状態に陥っていたという。
さて、室町期が、現代を写していると考えると、実に、室町期が明確に見える。
つまり、室町時代は、今も続いているということだ。
そのような感覚を持って、歴史を俯瞰するのである。
私が、精神史のみならず、室町期で、止まった理由が、私なりに、理解出来たという。
世襲身分の崩壊の様も見える。
領主権の根幹である、領主の土地領有権が、根底から動揺したのである。
領主の中には、金に困って、領地を売り渡す者が、増したという。
また、買う人は、領主身分とは限らず、凡下と呼ばれる、庶民階層の高利貸しが多く、それで、世襲身分が崩れ出した。
それを元に戻そうと、徳政令が出された。
この徳政令は、領主反動の性格をもっており、土倉など高利貸は、金銭による売買の権利、それは、市民的な所有権を主張する。
だが、室町期の徳政令は、一般庶民の債務破棄にまで及んだことから、単なる、領主反動ではなく、庶民の生活権を守るものと、領主反動とが、一緒になったもので、複雑である。
領主の土地領有権とは、農民が土地を耕作して、年貢を納めて、成り立つ。だから、領主は、自分の領有権のためには、領地を耕作している農民の、土地耕作権を、守らなければならないという、側面もあった。
ここに、領主と農民が共同で、高利貸し、つまり、土倉などに対抗するという局面も見られる。
現代では、考えられない権利、徳政令を、幕府も、戦国大名も、織田信長も、徳川家康も発布したのは、領主の領有権と、農民の耕作権との、双方から成り立つ、封建的土地所有を、土倉、つまり高利貸しから、守らなければ、封建社会が、持たなかったと言える。
そして、土倉は、この双方に対決することになる。
徳政一揆の襲撃に対抗するめ、都市に集まった。
都市は、多くの徳政令を適用させない場所として、幕府から、徳政免除権を獲得し、様々な方法で、徳政一揆を撃退する。
と、ここまで書いて、私の主旨とは、少し違うことに気づいた。
あまりに、専門的に、詳しい記述である。
もう少し、室町幕府の有様を、見ることにする。
その幕府の様は、現代に通ずるものが、多々あると、思う。
いや、未だに、室町期から、現代は、抜け出ていないのである。
まだ、室町期が、続いているような感覚を、私は、覚える。
だから、室町期からのものを、伝統などと、呼べる意味がないのだ。
それは、今も、そのようだからである。
伝統とは、千年の月日を要するものである。