国を愛して何が悪い266

京都に進駐した、足利尊氏の軍勢の有様から、再度、見ることにする。


それは、戦後の混乱を立て直すという、作業から、始まる。


足利尊氏は、後醍醐天皇を追放した直後の、建武三年、1336年に、後の基本的法令となる、建武式目、を作成した。


その内容については、早島大祐氏の、室町幕府論、から紹介する。


内容は、おおよそ、三つに分けられる。


  • の倹約令から顕著に読み取れる、道徳的項目である。

倹約、飲酒の禁止、礼節などである。


二番目が、治安維持に関する項目で、狼藉停止、空き地の返付、土倉「金融業」の興行など。


そして、三つ目が、政治倫理に関わる項目で、政治口入の禁止、公人=官僚や近習の引き締め、進物の禁止、褒美の基準、訴訟のあり方などである。


まさに、現代を見るようである。

と、共に、呆れるのである。

いまだに、室町期から、抜け切れれていないという、状況である。


これ以上、詮索しない。


法令が出されていてた時、幕府は、後醍醐天皇を捕らえていたが、12月、吉野へと逃げられている。


後に、これは、幕府の大きな禍根になり、畿内の南方に、後醍醐の軍勢が勢力を残したということで、足利軍は、京都から離れられないことになった。


結局、幕府は、軍使政権的な性格を持ったまま、京都に幕府を開くことになる。


それでは、その軍事政権とは、何かである。


戦闘を行い、治安を維持するということだけではない。

注目すべきは、その中に、戦乱による、死者の追悼慰霊を行うということである。


さて、現代は、どうか・・・

先の大戦の、戦没者の追悼慰霊を、まともに、行っているのかである。


戦死者の、113万人の遺骨も、未だに、取集していない状態は、追悼慰霊もなにも、あったものではない。


つまり、室町幕府より、悪いのである。


大東亜戦争、第二次世界大戦後、今年で、76年を迎える。

だが、何一つ、それからの状態は、変わらない。


政権担当の政党も、全くと言っていいほど、追悼慰霊は、無視である。

形ばかりの、慰霊祭は、8月15日に、行われるが・・・


何せ、反日に染まり、日の丸から、君が代のも国歌まで、嫌う風潮である。

更に、国旗を掲げると、右翼といわれる、ザマである。


私など、戦没者追悼慰霊の儀を執り行う、と言えば、極右と言われる、呆れた、国民に、成り下がった。


何処の国に、戦没者の追悼慰霊を無視する、国民がいるのか・・・

是非、彼らに、聞きたいものである。


更に、戦地に出掛けると、現地の人に言われることは、日本人は、ここに来ても、慰霊碑に対して、頭を下げることも、手を合わせることもしないと、軽蔑されるほどだ。


こんな、国民に、誰がした・・・

GHQか・・・

そうだ、GHQのせいにすると、楽だ。


洗脳された、と言えば、楽である。


そして、極め付けは、やれる人は、やっている、という言葉である。

呆れる。

やれる人とは、遺族だろう。


こんな、国に、国民に、誰がした。


こんな女に誰がした、という歌が、戦後、歌われたが・・・

米軍兵士に、体を売る女の歌である。


私は言う。

米軍、アメリカに、体を売った、国民である。

これは、また、呆れる。


さて、追悼慰霊を行うといっても、室町幕府は、自軍の戦没者だけではない。

敵軍の死者も、怨霊ということで、供養したとある。


敵を怨霊とは、当時の、御霊信仰、ごりょうしんこう、である。

御霊とは、怨霊である。


だから、後醍醐天皇が、8月16日に、崩御したという知らせを受けて、幕府方は、恐怖に震えた、のである。


これが、まともな感覚という。

今は、幽霊など・・・そんなもの・・・と言う人がいるだろう。


が、人が死ねば、霊になる。

当然、怨霊にもなる。


怨霊に憑かれると、どんなことになるのかは、当事者しか、解らない。

その、恐怖は、察して、余りある。


そんなものは、信じないと言うも、科学万能信者が、怨霊に祟られたことがあった。

そいつは、糞、小便を垂れ流した。


勿論、私は無視した。


自業自得が、この世の習い、2500年前に、仏陀が言ったことである。

当然のことだ。


自我の強い者ほど、糞まみれになる。


そんな者を、気の毒だとは、思わない。


それが、死ぬと、怨霊以下の存在になる。

らしい・・・