京都に進駐した、足利尊氏の軍勢の有様から、再度、見ることにする。
それは、戦後の混乱を立て直すという、作業から、始まる。
足利尊氏は、後醍醐天皇を追放した直後の、建武三年、1336年に、後の基本的法令となる、建武式目、を作成した。
その内容については、早島大祐氏の、室町幕府論、から紹介する。
内容は、おおよそ、三つに分けられる。
- の倹約令から顕著に読み取れる、道徳的項目である。
倹約、飲酒の禁止、礼節などである。
二番目が、治安維持に関する項目で、狼藉停止、空き地の返付、土倉「金融業」の興行など。
そして、三つ目が、政治倫理に関わる項目で、政治口入の禁止、公人=官僚や近習の引き締め、進物の禁止、褒美の基準、訴訟のあり方などである。
まさに、現代を見るようである。
と、共に、呆れるのである。
いまだに、室町期から、抜け切れれていないという、状況である。
これ以上、詮索しない。
法令が出されていてた時、幕府は、後醍醐天皇を捕らえていたが、12月、吉野へと逃げられている。
後に、これは、幕府の大きな禍根になり、畿内の南方に、後醍醐の軍勢が勢力を残したということで、足利軍は、京都から離れられないことになった。
結局、幕府は、軍使政権的な性格を持ったまま、京都に幕府を開くことになる。
それでは、その軍事政権とは、何かである。
戦闘を行い、治安を維持するということだけではない。
注目すべきは、その中に、戦乱による、死者の追悼慰霊を行うということである。
さて、現代は、どうか・・・
先の大戦の、戦没者の追悼慰霊を、まともに、行っているのかである。
戦死者の、113万人の遺骨も、未だに、取集していない状態は、追悼慰霊もなにも、あったものではない。
つまり、室町幕府より、悪いのである。
大東亜戦争、第二次世界大戦後、今年で、76年を迎える。
だが、何一つ、それからの状態は、変わらない。
政権担当の政党も、全くと言っていいほど、追悼慰霊は、無視である。
形ばかりの、慰霊祭は、8月15日に、行われるが・・・
何せ、反日に染まり、日の丸から、君が代のも国歌まで、嫌う風潮である。
更に、国旗を掲げると、右翼といわれる、ザマである。
私など、戦没者追悼慰霊の儀を執り行う、と言えば、極右と言われる、呆れた、国民に、成り下がった。
何処の国に、戦没者の追悼慰霊を無視する、国民がいるのか・・・
是非、彼らに、聞きたいものである。
更に、戦地に出掛けると、現地の人に言われることは、日本人は、ここに来ても、慰霊碑に対して、頭を下げることも、手を合わせることもしないと、軽蔑されるほどだ。
こんな、国民に、誰がした・・・
GHQか・・・
そうだ、GHQのせいにすると、楽だ。
洗脳された、と言えば、楽である。
そして、極め付けは、やれる人は、やっている、という言葉である。
呆れる。
やれる人とは、遺族だろう。
こんな、国に、国民に、誰がした。
こんな女に誰がした、という歌が、戦後、歌われたが・・・
米軍兵士に、体を売る女の歌である。
私は言う。
米軍、アメリカに、体を売った、国民である。
これは、また、呆れる。
さて、追悼慰霊を行うといっても、室町幕府は、自軍の戦没者だけではない。
敵軍の死者も、怨霊ということで、供養したとある。
敵を怨霊とは、当時の、御霊信仰、ごりょうしんこう、である。
御霊とは、怨霊である。
だから、後醍醐天皇が、8月16日に、崩御したという知らせを受けて、幕府方は、恐怖に震えた、のである。
これが、まともな感覚という。
今は、幽霊など・・・そんなもの・・・と言う人がいるだろう。
が、人が死ねば、霊になる。
当然、怨霊にもなる。
怨霊に憑かれると、どんなことになるのかは、当事者しか、解らない。
その、恐怖は、察して、余りある。
そんなものは、信じないと言うも、科学万能信者が、怨霊に祟られたことがあった。
そいつは、糞、小便を垂れ流した。
勿論、私は無視した。
自業自得が、この世の習い、2500年前に、仏陀が言ったことである。
当然のことだ。
自我の強い者ほど、糞まみれになる。
そんな者を、気の毒だとは、思わない。
それが、死ぬと、怨霊以下の存在になる。
らしい・・・