日々の言い分586

過去数年、数十年の間、家事はどんどん省力化されてきした。それは、家事がきわめて重労働で、専属の人を配置しておかないと回らないくらいだったからです。なので、どんどん省力化効率化外注化されていったことは、

・とても良いことだったと思います。

ところが!ですよ。どうもそれが行きすぎた気がするんです。新型コロナの感染拡大で、StayHomeが叫ばれた今年の春先。

自力で家事を回す必要がないくらいまで、削減されていた都会の家事力は、文字通り・回らなくなったんですよ。ドコにも行けなくなり、物流が滞り、サービスの提供が受けられなくなったからです。

これね、ホントに思うんですが、省力化や効率化が・家事力を低減させた

んですよ。そう、ここ数年、数十年で削ってきたものは、ホントは・家事能力自体だったんじゃないでしょうか。繰り返しますが、過重すぎる家事労働は削減されるべきでした。ところが、必要な家事能力まで削減されてしまったのではないかというお話なんです。

効率化は、そもそもグランドデザインというか、大きな計画みたいなものがあって、それに沿った形で行われてこそ意味があるものです。そうしたものがない場面で効率化を行うと・一手間でも5分でも削る方向性になってしまいます。まあ、目標額を決めない節約みたいなモンですよ。1円10円の安さを求めて遠いスーパーに出かけるみたいな。

で、結果として、・手間ヒマは削減すべしってことになって、がんがん外注化効率化されてしまったんです。それが、今回の新型コロナみたいな極限状況では家事能力のなさが生活自体を脅かす形で出現したんです。

これは、自分の人生の中で家事をどう位置づけているのかみたいな、ちょっと抽象的で分かりにくいことを・考えずに目の前のものだけを変えようとするから

だろうと思います。こういうメルマガを書いているものとして反省しましたね。

2020年ももう終わり。来年は、家事やモノと適切な距離でつきあいたいですね♪

上記の書き込みを読んで・・・


家事とは、大変な労力であると、私は実感している。


つまり、私は、毎日、家事をしている。

食べる物は、すべて、手作り。

外食は、ほとんどしない。


男だてらで、そんな生活をしている。

勿論、家事が大好きな、男もいるだろう。


まともに、家事をするとなると、それは、大事なのである。

家事は、キリがない。


だから、手を抜く。

その、手の抜き方が問題である。


部屋の掃除自体が、大変である。

手を抜いていると、一年ほど、物の移動がない場合もある。


さて、私は、自分が食べる物には、手を抜きたくない。

だから、それは、大変なことになる。


一日、二食である。

それでも、大変なのだ。


おおよそ、一日置きに、ご飯を炊いている。

そして、おかずを作る。


味噌汁も、かかさない。

魚を焼いたり、煮たり、揚げたりする。

肉も、そうだ。


そして、野菜である。

漬物が大好きで、自分でも作る。

ところが、食べきれないのである。


捨てることになる物を、作るのは、勇気がいる。

そこで、量を少なくする。

だが、量を少なくするという事が、また、大変なのである。


それも、ある程度慣れて、今は、ほどほどに出来るようになった。


まあ、こうして、また、死ぬまでの、暇を潰している。