生きるに意味などない95 2017年09月24日 肉体の老いゆくことはさびしく、死は恐ろしい。しかしそれ以上に精神の死は恐ろしい。われわれはふつうしばしば、肉体が滅びて初めて死ぬと考える。しかし、じっさいは肉体の滅びる前に、まさにその少し前に、まずこころにおいて死ぬのである。 つまり、われわれが近接未来をあてこむとは、いまより後のものをあてこむことであるが、われわれの精神は、つぎにくるものの前にあらかじめ死ぬのである。われわれはだめになる前に…続きを読む
生きるに意味などない94 2017年09月23日 死をわれわれは知らないのではない。気づかないでもない。うすうす気づき、むしろそれを自覚しているからこそ、それを避けるために、区切りを設けて安泰を願っているのだ。そのかぎりではわれわれはいのっているのである。この無言のいのりを多くの人はたとえ気づいていないでも現実に行っている。 小原 安泰を祈る・・・ 無自覚に、である。 呆れる。 だから、言う。 自殺を考える人は、黙っていても…続きを読む
生きるに意味などない93 2017年09月22日 何も信じていない人でも、時間だけは、信じている。 それを、時間信仰と、小原氏が言う。 そこで、私は言う。 近未来の時間という、意味付けをして、生きているのである。 時間、というものも、意味付けなのである。 遠い未来の先には、死ぬことがあるが・・・ そこまでは、考えないでいる。 だから、人間は、大したことのない存在である。 辛うじて、予定を立てて、死なないつもり…続きを読む