国を愛して何が悪い193

私は歌の範囲内だげに限って言うのだが、王朝から中世へかけての精神の複雑な動きを見る上には、新古今集は必ずしも適切ではない。一旦これを解体し、その前後に成立した各人の家集から出発しなおした方がいいと思う。・・・ 亀井勝一郎 現代文は私 新古今集に、最も多く採用されているのは、西行の94首、女性では、式子内親王の49首、藤原俊成と共に、千載集時代の人と言うが、ここに重点を置き、次に、藤原定家…

続きを読む

国を愛して何が悪い192

鴨長明は、30代40代と、歌と管弦に傾倒した。 歌道を、詳しく学んだことは、無名抄によって、明らかだ。 そして、40代の半ば、後鳥羽院の推挙によって、宮廷歌人となり、和歌所の寄人になって、喜んで奉仕した。 しかし、貴族の末流にすぎない、身分の低さゆえ、藤原定家等とは、同席も許されなかった。 そういう外的条件だけではなく、彼の人となりそのものが、どこかすねていて、とりつきにくい…

続きを読む

国を愛して何が悪い191

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとどまりたる例なし。世の中にある人と住処と、またかくのごとし。 鴨長明 方丈記 有名な書き出しである。 ただ、古代から、中世にかけては、常套的な発想である。 まき向の 山辺とよみて 行く水の 水泡のごとし 世の人我は 万葉集 世の中は なにか常なる あすか川 きのふのふち…

続きを読む