神仏は妄想である547 2019年02月05日 世阿弥の、初心という言葉は、風姿花伝に、繰り返し出てくる。その議論が、更にまとまるのが、晩年に書かれた、「花鏡」である。 それによると、「初心忘るべからず」という一句は、観世の流派に早くから伝えられたが、それに次の、三か条の口伝がある。 是非の初心忘るるべからず時々の初心忘るべからず老後の初心忘るべからず以上である。 是非の・・・とは、初段階の下手の未熟を悟り、後の上手の段階へと、次第に向…続きを読む
神仏は妄想である546 2019年02月04日 仏教の思想の一つ、無我の思想。それが、日本では、無私の思想になった。 以前に書いたものを、参照して欲しい。さて、漢訳仏典の多くを残した、三蔵法師玄奘は、天竺に、ユガ論を求めて、旅に出た。 そして、最高学府で最高の地位に上がる。だが、彼は、ヨガの理論を学んだが、行はしなかった。晩年、そのことを、反省している。 つまり、理屈だけを、知ったということである。 世の中には、理屈を好む者がいる。大…続きを読む
神仏は妄想である545 2019年02月03日 近世における仏教の国民化が、庶民による墓の一般的受容と不可分の関係にあったという事実は重要である。それは今日の日本仏教の命運を占ううえでもあいかわらず最重要の指標であるにちがいない。とするならば広義な墓システムの浸透こそは、日本仏教の変容を示すシンボルであり、これからの「葬式仏教」の行方を占う物的基盤であるといわなければならない。山折 さて、少しはがり、日本の仏教における、転変を見て来た。そし…続きを読む