国を愛して何が悪い198

頼朝挙兵は、1180年より、平家滅亡は、1185年、更に、衣川合戦の終結は、1189年である。 つまり、前後十年に渡る、日本史上最大の、内乱が続いた。 南は、九州大宰府から、北は、奥州平泉まで、全国規模の内乱である。 この間に、源平両軍の移動、戦闘のもたらした被害は、あらゆる階級層に、及んだはずだ。 平家物語の木曾軍の、狼藉として、進撃、退却のときは、民家を容赦なく、焼き払っ…

続きを読む

国を愛して何が悪い197

平家物語が、誰によって書かれたかは、不明である。 長い年月の間に、琵琶法師によって、語られたが、様々な人たちを通して、また、聞き手の好みによって、変化したであろうと、思われる。 共同制作的性格を、持つものとの認識を私は、持つ。 ただし、手掛かりがある。 徒然草の、第二百二十六段である。 「後鳥羽院の御時、信濃の前司行長、稽古の誉ありけるが、楽府の御議論の番にめされて、七徳の…

続きを読む

国を愛して何が悪い196

式子内親王は、後白河天皇の皇女である。 源頼政が挙兵した際に、奉じた以仁王は、兄に当たる。 保元の乱で、配流となった崇徳院は、叔父に当たり、壇ノ浦で入水した、安徳天皇は、甥に当たる。 源平合戦前夜の政治的紛争と、内乱の渦の中に生き、血縁の人々の多くが、悲運に倒れている。 それらの、悲しみを一身に引き受けたのが、式子内親王といえる。 新古今から、彼女の歌を挙げる。 山ふかみ…

続きを読む