死ぬ義務10

さて、素人である私が、物を書く場合、権威がないため、権威ある人の、文を引用する。 だがここで、中世を振り返ってみよう。なぜならわが国においても死の思想が発展したのは、西欧と同じように古代末から中世にかけてであったからだ。すなわち「日本往生極楽記」のような往生伝が数多く編述され、地獄草紙や阿弥陀来迎図が制作されるようになった。往生伝というと、一般に高僧伝や名僧伝のようにうけとめられがちである。し…

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死ぬ義務9

「ひとつの情念がいまも私をとらえる。それは寂寥である。孤独ではない。やがては思想化されることを避けられない孤独ではなく、実は思想そのもののひとつのやすらぎであるような寂寥である。私自身の失語状態(いわゆる神経医学的なものではなく、収容所内の孤独の沈黙を指す)が進行の限界に達したとき、私ははじめてこの荒涼とした寂寥に行きあたった。衰弱と荒廃の果てに、ある種の奇妙な安堵がおとずれることを、私ははじめ…

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死ぬ義務8

更に、有名なアウシュヴィッツの収容所では、遅かれ、早かれ、死ぬ、ということが、当然なことである。 それを生き抜くとは、様々な要因によるものとはいえ、その報告からは、同じ痛みの内に書かれているものが、多くある。 そのナチスの強制収容所では、何とか「プロミネント」になることが、「ムーゼルマン」(それは回教徒、瀕死直前の囚人を指す)に陥ることを防ぐ唯一の、方法だった。 プロミネントというのは、カ…

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