死ぬ義務17 2019年02月18日 仏陀が否定した、葬式と遺骨信仰である。その様が、今のインドで、見られる。 山折氏の、日本人の生死観に、インドの都市ベナレスに行き、その死者の扱いの様を描いている。 そこから、省略しつつ、紹介する。 だいたい死者を焼く場所というのは、都市の周辺地域にあるのが普通です。ヨーロッパももちろんそうですし、我が国でもそうです。インドのほかの都市でもだいたいそうなっている。それがいったいなぜ、ベナレス…続きを読む
死ぬ義務16 2019年02月17日 文献として残る、万葉集の時代には、遺骨に対する尊崇の念、遺骨を祀るということは、皆無だった。 古代は、遺骨は、そのまま捨てた。そして、その後の、霊、魂を大切にしていたのである。 日本人が、遺骨に対する特殊な観念を抱きようになるのは、11世紀から、12世紀の頃で、源信が比叡山で、浄土教の教えを説き始めた頃からである。 それから、10世紀を過ぎて・・・現在は、どうなのかは、見て御覧の通りである…続きを読む
死ぬ義務15 2018年12月18日 ここで、もう少し、山折氏の、論説を使い、日本人の基本的な、死生観というものを、見る。 矢張り、仏教が中心になり、それが展開していくが・・・古代日本の、死生観を後々で、書くことにする。 仏教という宗教は、別エッセイ、神仏は妄想である、で散々に取り上げて、論じているので、そちらを参照のこと。 これからは、日本における仏教というものから、日本人の死生観が作られたという、話である。 勿論、その長…続きを読む