死ぬ義務14 2018年12月17日 ヘムロック死は、他人の手を借りて行われる、強制的な死であり、断食死は、自らの意志だけで行う、限りなく自然死に近い安楽死である。 上記は、山折氏と、私と、同じ見解である。 ヘムロック死と断食死とのあいだにみられるこのような相違の背景には、むろん欧米の死生観とわが国の死生観の間の相違という問題が横たわっているであろう。その死生観の相違にかんする歴史の重みが、現代における臨死の場面にも大きな影響を…続きを読む
死ぬ義務13 2018年12月16日 現代では、断食といえば、生命の存続という観点からのみ、論じられている様子である。 あるいは、健康法、美容法の一つとして、見直され、もてはやされる。それは、生命維持装置の、一種の代替物である。 勿論、断食には、心身のコントロール、精神衛生として、大きな効果があることも、否定しない。ただし、そのための、行き過ぎた、断食を私は嫌う。 だが、死ぬ義務、としての、このエッセイでは、断食が、何よりも、…続きを読む
死ぬ義務12 2018年12月15日 さて、源信の時代にもう一人、日本往生極楽記、という書を書いた、慶滋保胤、よししげのやすたね、という宮廷社会で活躍した、下級文人がいた。 彼は、源信の下で、出家し、源信と共に、念仏結社「二十五三昧会」の有力なメンバーとなった。寂心と名を改め、往生要集を書き上げた頃、彼も、上記を仕上げている。 その書は、往生者といわれる修行者たちの伝記を集めたものである。聖徳太子からはじめ、行基、多くの無名の往…続きを読む