生きるに意味などない159

生と死の問題を考えるのは難しい。それは、一方で、私の死は、私だけの大問題です。私が死ねば、そもそもの「私」はなくなるので、私の生や死を超える何かについて論じても何の意味もありません。霊魂や生命などといっても何の意味もありません。私個人としてはそういうことです。・・・私個人を超えた何かがありそうな気もするのです。そこにこの問題の最大の難所がある。佐伯 と言うものの、それは、佐伯氏の、思いである。…

続きを読む

生きるに意味などない158

確かに、個人の意思や理性や計画などというものを超えた「生命」というものがある。それは完全に、私などという「個人」を超えてしまっている。たとえば、考えてみてください。死を前にしたどうしようもない苦痛。そして、かすれてゆく意識や、肉体と精神の衰弱。それをもたらしているものも、「個人」を超えた何ものかなのです。そんなもの、自分で管理もなにもできません。そして、この何ものかがまた、生と死のぎりぎりの境界…

続きを読む

生きるに意味などない157

トルストイの考え方について、さらに、深めると、「生命」こそが、「私」よりも根本にあるというもの。 「根本的な自我とは何なのか」という疑問はたいへんに難解で深遠に聞こえるのですが、実は子供から、それを知らないものはいない、と彼はいう。子供は、自分とは何か、などと問わない。ただ、「僕はあれが好きでこれが嫌いだ」という。そういうことで、自分を定義しているのです。そして、「これが好きだが、これは好きで…

続きを読む