生きるに意味などない150

死の自覚的な意識とは、この日常的な世俗世界に限界を画することです。・・・死は極めて個人的な出来事であると同時に、その個人などというものを超えてしまう。個人を組み立てている人格性や個性や多様性や差異性など、すべてが普遍的な「死」によって消し去られる。それは確かに恐るべき「絶対的にもの」なのです。佐伯 夏目漱石も、言う。ふざけたる者も、襟を正すのが死である、と。 生きるに意味などない、であるなら…

続きを読む

生きるに意味などない149

佐伯氏は、まだ面白いことを書く。その著、生と死、である。 その後半部分。私も、基本的には「生も死も無意味」の立場にたっています。これはひとつの死生観です。しかし、そこから、ただちに「だからやりたいことをやって楽しめばいいじゃないか、難しいことなど考える必要はないじゃないか」とはならない。このニヒリズムをひとたび認めてしまえば、「生も死も無意味」であるにもかかわらず、逆に生に執着し、欲望に取りつ…

続きを読む

生きるに意味などない148

専門家から、僧侶、そして、専門外の人たちも、仏教を論ずるが、仏教とは、あまりにも、広大な教義があり、つまり、こじ付けの理屈があり、実に、面白い。 佐伯氏も、その仏教の、般若の思想から、云々するが・・・死ぬまでの、暇潰しである。 だから、皆々、何となく、解ったような思いになり、騙される。 何せ、苦からの解放を言うのである。つまり、最初に、苦、というものを、掲げる。実際は、その苦も、無であり、…

続きを読む