国を愛して何が悪い242

世阿弥は、応永29年、60歳以前に出家した。道元の法統をひく禅であったと、伝えられている。 道元の曹洞禅に入ったとすれば、妄執を捨てること、むしろ芸そのものをさえ捨てることを内的に迫られたはずである。道元の潔癖な信仰からすれば、芸術の否定にまで至ること・・・亀井 だが、それに関しての、世阿弥の文はない。想像するしかない。あるいは、作品の中から、読み取る。 私は、世阿弥の謡曲に、触れないでお…

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国を愛して何が悪い241

亀井の、日本人の精神史研究、から、幽玄への拘りを見る。 その著作は、繰り返しが多いが、説明しようとすると、当然、繰り返しが多くなる。 私は、第三部の、新古今集とその前後、という箇所を省いて、省略して、この話題を、避けた。だが、亀井が、再度、取り上げているので、その説明を、簡単に紹介する。 その一つは、中世において、信仰のために、遁世出家が盛んになった。それと同じように、美のために、遁世出家…

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国を愛して何が悪い240

世阿弥の功績は、幽玄を、「美のための方丈」から解放した点にある。彼は貴族の風習や風姿にみられる気品を尊重し、また歌の伝統をも深く理解しようとしたが、摂取の仕方は自由であり、雑学的であり、謡曲の出典をみてもあきらかなように範囲は広い。民衆の「忘れ得ぬ思い出」が根本にあった。むろん能と歌との性質のちがいからもくることである。亀井 ただ美しく、柔和なる体、幽玄の本体なり そもそも能批判と云ふに、人…

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