国を愛して何が悪い234

重要なのはこのときの「姿」だ。ところで「姿」という言葉ほど厄介なものはない。世阿弥は注意しているが、能の基本が「ものまね」だからといって、それだけを最上と心得て、「姿」を忘れては「幽玄の境」に入ることは出来ないと。その「姿」を、一体、どのようにして形成し、さらに確認するのか。言わば自己を知る方法なのだが、次のような難題を世阿弥は提出する。亀井 見所より見る所の風姿は、我が離見也。然れば、わが眼…

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国を愛して何が悪い233

その物に能く成る花鏡 その物になるとは、真似ることである。そして、真似る事が、芸の極みに行く時に、能楽という、芸術が出来る。 と、まあ、とても簡単そうである。しかし、簡単ではなさそうな、気配がある。 その姿に先づ成りて、舞をも舞ひ、立はたらきをも、音曲をも、その形の内よりすべし。花鏡 と、また、簡単そうで、そうではない気配である。 ただ、世阿弥の書いたものを、妄想逞しく読むということも…

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国を愛して何が悪い233

その物に能く成る花鏡 その物になるとは、真似ることである。そして、真似る事が、芸の極みに行く時には、能楽という、芸術が出来る。 と、まあ、とても簡単そうである。しかし、簡単ではなさそうな、気配がある。 その姿に先づ成りて、舞をも舞ひ、立はたらきをも、音曲をも、その形の内よりすべし。花鏡 と、また、簡単そうで、そうではない気配である。 ただ、世阿弥の書いたものを、妄想逞しく読むということ…

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