死ぬ義務45

苦痛は完全に除去できるか。医学はこれをめざすことが許されるか。これを実現することは事実上できないであろうと、われわれは考える。宮川俊行 つまり、不調和というものを、完全に除去することはできない。 自然に干渉し、手を加えることは出来るが、それには限度がある。自然の基本的秩序そのものを無視すること、それを覆すことをあえて行うとすると、それは、人間の自滅をもたらすものでもある。 行き過ぎによって…

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死ぬ義務44

ある生物的生命が精神的人格原理との内的かかわりを決定的に喪失している、あるいはもともと持っていないということの断定は非常に困難であるということからいっても、中間的存在を認めることの意義は、大きい。 もちろん、人間は神ではない。ゆえに、この判定において誤りうる。しかし慎重に考慮のうえ判定するとき、われわれは命をその尊厳にふさわしく取扱っていると言えるであろう。また生命の尊厳からして、たとえ誤りう…

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死ぬ義務43

精神的諸現象の背後にある、主体たる存在として理解しようとすることは、何も、自我意識や精神的活動のもつ意義を、軽視することではない。 存在論的人格論が、より安全だからといって、それを採用したとしても、それらの諸現象の不在、あるいは、少なくとも、我々に知覚出来ないと言う事実から言えることは、ここに人格的主体が不在であると、必ずしも、限らない。 そこに「人格」が実在していることを、直接的に知ること…

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