死ぬ義務35

あらゆる存在を無意味化して飲み込んでしまうという点で、「死」は「絶対的な無意味」というほかありません。「死」というその究極の一点において、どんなに権勢を誇った富者もどんなに悲惨な人生を歩んだ不幸なものも、また、文明の頂点にある現代人も古代の縄文人も、すべてが同一化されるのです。それに比べれば、どれほど富を蓄積しても栄華を生み出しても、「生」も「文明」も相対的なものに過ぎません。「死」はそのすべて…

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死ぬ義務34

延々と、佐伯氏の論説を紹介するのではない。後に書く、安楽死、尊厳死のための、序章である。 おそらく人間にとっての根本的な逆説は、人間にとってもっとも重要でかつもっとも関心のある事柄について、われわれは何ひとつわからない、ということでしょう。「死」がそれです。おそらくは、このもっとも根本的な事実、誰もがとても深く関心をもっているこの不可避な事実について、ほとんど何ひとつ確実なことを論じることも、…

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死ぬ義務33

前回の、自死について、続ける。 佐伯氏の、言い分である。いずれにせよ、この自死は、世をはかなんだ厭世観とも虚無主義とも無縁です。どうせ死んだらすべて無だ、という虚無感とはまったく違っているし、ある種の哲学者が分かったように述べる「人生なんて耐え難いものだ」とか「人生など所詮は虚無だ」という種類のシニシズムともまったくかかわりないものです。 極めて、積極的で肯定的な、自死だということ。 その…

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