死ぬ義務39

さて、尊厳死の思想は、ある種、レイシストのような考え方に似ていると思われるが、そうではない。 じっくりと、考え直してみるべき。ナチスのホロコーストではない。 非人格的生命としての生存は、無意味である。人間としての死、というものを、考えることだ。 その前に、非人格的生命を、このようにしてまで、生きることに意味があるのか、と考える。 生命は、人格的生命であり、それだからこそ、はじめて保持の努…

続きを読む

死ぬ義務38

さて、人間であるという、定義を書いたが・・・ その人間観の、変種として、人格存在を、身体の自由をも含むものとして、捉える見方がある。 例え、意志、理性が健全で、精神活動は出来ても、身体的に非常に重い欠陥を持ち、重度の障害があり、身体的自由がなく、外的動作が出来ない場合、人格存在として、意味ある活動は出来ない。 従って、それは、真の人格存在とは言えない。単に、精神的機能や活動の、あるなしでは…

続きを読む

死ぬ義務37

さて、一度、日本の死に関しての、結論めいたことを書く。 日本人の、死生観である。佐伯氏の言葉を紹介する。 「生も死も無意味だ」から出発して、その「無意味さ」こそが、自我への執着を否定したうえで、現実世界をそのまま自然に受け止めることを可能にするのです。われわれは、草木のように土から生まれ、また土に戻ってゆき、そしてまた別の命が芽をだす。すべての存在がこうした植物的な循環のなかにあることをその…

続きを読む