死ぬ義務36

われわれの人生の最後が「無意味」であれば、その「無意味」というゴールを目指してかけ続けている「生」も無意味ではないのか、という疑念がわいてくる。であれば、「無意味なもの」へ向けて走り続けているこの人生も、ただただ苦痛の連続だ、ということにもなるでしょう。佐伯 はっきり言うが、私は悟っているので、こんな議論は、本当に、暇つぶしである。私の悟りは、別エッセイで書いているので、省略する。 さて、い…

続きを読む

死ぬ義務35

あらゆる存在を無意味化して飲み込んでしまうという点で、「死」は「絶対的な無意味」というほかありません。「死」というその究極の一点において、どんなに権勢を誇った富者もどんなに悲惨な人生を歩んだ不幸なものも、また、文明の頂点にある現代人も古代の縄文人も、すべてが同一化されるのです。それに比べれば、どれほど富を蓄積しても栄華を生み出しても、「生」も「文明」も相対的なものに過ぎません。「死」はそのすべて…

続きを読む

死ぬ義務34

延々と、佐伯氏の論説を紹介するのではない。後に書く、安楽死、尊厳死のための、序章である。 おそらく人間にとっての根本的な逆説は、人間にとってもっとも重要でかつもっとも関心のある事柄について、われわれは何ひとつわからない、ということでしょう。「死」がそれです。おそらくは、このもっとも根本的な事実、誰もがとても深く関心をもっているこの不可避な事実について、ほとんど何ひとつ確実なことを論じることも、…

続きを読む