神仏は妄想である552

さて、それでは、浄土教の源流といえる、インド仏教で、どのように発展したのかを、俯瞰する。 それにより、中国の阿弥陀浄土教を様を、再度見ることにする。 そこで、明確にしておくことは、仏陀が、浄土教を説いたのではないということである。つまり、歴史学としては、認められないということだ。 インドで、いつ頃に、浄土教が成立したのかも、良く解らない。ただし、後に、浄土教となるもの、その可能性のようなも…

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神仏は妄想である551

浄土教が、中国に受け入れられる、その下地を言う。 古代から、中国に存在していた、山岳信仰である。五岳の神聖視は、その代表である。ことに、東方の聖山の、泰山は、神の住む霊山として、皇帝も行幸して、それを祀った。 死者の集まる場所として、泰山の信仰を持っていたのである。ここで、死者は、その生前中の善悪を裁かれるというものである。 死者が受けなければならない、泰山の神の審判は、人々に、死の恐怖、…

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神仏は妄想である550

ただ今、中国仏教を見ている。続けると、 「華厳経」の広大深玄な思想こそ、仏陀が、菩提樹下の悟りの歓喜の座から、自らに内証されたとこけろを、ありのままに説かれたもので、この経典こそ、仏教の究極、最高の真理だと、主張する者たち。 「維摩経」は、妻子を持ち、商売をしている、在家の維摩居士こそ、仏陀の真意を理解し、仏道を体得している人として、仏陀の弟子たち、出家僧たちが、かえって、仏陀の真義を誤り、…

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