神仏は妄想である572

道綽は、古来より相伝して阿弥陀仏はこれ化身、また是化土なりという。 現に居ます弥陀はこれ報仏、極楽宝荘厳国はこれ報土なり。 仏も浄土も、ただ衆生救済のためにとの純粋清浄心の本願に報いて成就した仏であり、浄土であるから、現にわれわれに救いのために働き掛け、説法し続ける純粋愛の仏である。 阿弥陀仏の名を、唱えよ、である。 他力の信仰を持て、との、強い道綽の言葉。 ここにある、本願というもの…

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神仏は妄想である571

さて、再度、曇鸞に傾倒した、道綽について、書く。 曇鸞の、浄土論を読み、往生論註を熟読し、曇鸞教学に心を注いだ。 ここで、曇鸞教学と言うが、果たして、その妄想を、教学と言えるのかということだ。 何よりも、仏になるまで進み、誓願を立てて、つまり、菩提心を起こして、と奮起する。 浄土論によって、彼は、今「菩提心を発す」とは、即ち是仏にならんと願う心であり、願作仏心とは即ちこれ衆生を度する心で…

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神仏は妄想である570

さて、中国浄土教についてを、書いている。 曇鸞も道綽も、善導も、明らかに、浄土三部経を、所依の聖典とし、教義と実践の権威とした。 しかし、曇鸞の浄土教が、無量寿経を中心とする傾向が強いのに対して、道綽、善導は、観無量寿経を中心とする。 これは、当時の仏教界に、最も流布していたこと、また各宗派の学者が、競って、研究し講読していたからである。 そして、末法仏教運動を起こした、三階教祖、信行の…

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