神仏は妄想である574

神仏は妄想である、を書き続けてきて、今は、浄土教について、その成り立ちを、中国仏教から見ている。 宗教の教義を、まさに学問のようにして、学んだ多くの僧たちである。 そして、その時代性と、精神である。 何故、そのような妄想に堕ちったのか、ということを、考える。およそ、1500年前の時代の中国である。 隋、唐の時代に当たる。日本では、推古天皇の御代である。 浄土教の最終段階は、善導である。…

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神仏は妄想である573

善導の浄土教大成のあらましについて、書く。 善導は、613年から、681年の人である。日本では、推古天皇の時代に当たる。 その善導の、浄土教がいかなるものであるかを、善導の著作から、見ることにする。 その一つに、観経疏の巻一の劈頭に、まず勧む。大衆よ。発願し、三宝に帰せよ。である。 僧も俗も、現代の大衆諸君よ。おのおの人生の理想、つまり、仏の悟りに、進む決意を誓願せよ、との語り掛けである…

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神仏は妄想である572

道綽は、古来より相伝して阿弥陀仏はこれ化身、また是化土なりという。 現に居ます弥陀はこれ報仏、極楽宝荘厳国はこれ報土なり。 仏も浄土も、ただ衆生救済のためにとの純粋清浄心の本願に報いて成就した仏であり、浄土であるから、現にわれわれに救いのために働き掛け、説法し続ける純粋愛の仏である。 阿弥陀仏の名を、唱えよ、である。 他力の信仰を持て、との、強い道綽の言葉。 ここにある、本願というもの…

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