生きるに意味などない192

言語は、社会制度的固定化によって、特徴づけられる表層次元の下に、隠れた、深層構造を持つ。 と、そこまでは、いい。 そこでは、言語的意味は、流動的浮動的な未定形性を示す。本源的な意味遊動性の世界。何ものも、ここでは本質的に固定されていない。すべてが流れ、揺れている。固定された意味というものが、まだ出来上がっていないからだ。筒井 実は、当たり前のことである。それを、ご大層に語るという、神経は、…

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生きるに意味などない191

ブラパチャは、普通のサンスクリットでは、「多様性」「多者化」、すなわち何かをあらゆる方向に向かって多種多様に変転し、展開し、くりひろげていくこと、を意味するが、ナーガールジュナの哲学的コンテクストでは、根源的一者(「空」、「無」)が、様々な語の意味の示唆する分割線にそって、四方八方に分散し、散乱することを意味する。筒井俊彦 意味的分散・・・言語意味に基づく、一者の多者化。老子は、無名が有名にな…

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生きるに意味などない190

一般に、東洋哲学の諸伝統を通じて、根深い言語不信が働いていることは注目に値する。この言語不信は、大多数の場合、方法論的不信なのであって、コトバの意味表象喚起作用に謀られた人間意識の「妄念」すなわちコトバの生み出した現象的多者を、客観的にそのまま実在する世界と思い込む人間意識の根本的誤り、を打破して、その基礎の上に、絶対無分別者の立場から分節的世界の真相を、あらためて捉えなおそうとする試みなのだけ…

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