国を愛して何が悪い257

古代国家における最初の宗教的破綻のとき、聖徳太子は「世間虚仮、唯仏是真」と遺言された。人間のすべてが救済されるなどということは永久にありえないだろうが、「唯仏是真」という信仰の実証される物とは、「永久に救われぬ」というこの事実以外にない。これは太子の信仰体験の示されたところであった。「世間虚仮」であることへの絶望からのそれは祈願である。換言すればここに仏陀の慈悲の永遠性を確認したということであり…

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国を愛して何が悪い256

室町初期の茶会は、外来文化を取り入れ、その享楽振りは、「わび」「さび」とは、無縁だった。 武家の乱雑なバサラぶりと異国趣味の混肴した雰囲気が実状であった。だから「茶道」の形成とは、まずこれえの抵抗(感覚的反撥)であり、その点では「かまんなくてもならぬ道」であり、バサラから自己を隔離する修身の道でもあったと言える。「一枚」はそのときの決意の書のようなものである。亀井 それは、とても、勇気のいる…

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国を愛して何が悪い255

これから、茶道の源流としての、室町期を書く。それ以前は、茶道と呼べるものではない。 単なる、茶を飲む、又は、闘茶という、遊びである。 茶の湯の世界が始まるのは、その始祖と呼ばれる、村田珠光による。1422年から、1502年の生涯である。 珠光が、茶道の始祖とされたのは、利休の時代になってからである。それまでは、特別に、評価されることはなかった。 ただ彼がなぜ茶祖として後世から仰がれるよう…

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