国を愛して何が悪い262

13世紀鎌倉の宗教改革にみられたような、あの激しい「決定」と「純化」の世紀を念頭におくならば、室町末期以後から今日までの五百年間とは、一体何であったのか。信仰の弛緩あるいは頽廃の時代と言って過言でない。日本人の思考力(対決と決断、拒否)の衰弱したということである。亀井 確かに、精神史の一つとして、宗教、その信仰が挙げられるが・・・私は、亀井は、あまりに、それに囚われていると見る。勿論、否定はし…

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国を愛して何が悪い261

さて、耶蘇会の宣教師、フロイスが本国のポルトガルに送った手紙の一節を見る。 この尾張の王は年齢三十七歳なるべく、長身痩躯、髭少し。声は甚だ高く、常に武技を好み、粗野なり。正義及び慈悲の業を楽しみ、傲慢にして、名誉を重んず。決断を秘し、戦術に巧みにして殆ど規律に服せず。部下の進言に従うこと稀なり。彼は諸人より異常なる畏敬を受け、酒を飲まず。自ら奉ずること極めて薄く、日本の王侯は甚だしく軽蔑し、下…

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国を愛して何が悪い260

中世は武家の時代だと言われるが、その権威が失墜したのが室町末期である。中世は仏教信仰の最も純化された宗教の時代だと言われるが、その権威の失墜したのも室町末期である。すでに源平合戦から承久の変を通って、院政の権威は失墜した。南北朝五十年にわたる内乱を通して公家の権威も失墜した。権威の名にあたいするあらゆるものが崩壊したところに生じた虚無感、これが下剋上の根本にあるもので、私は太平記を通して、南北朝…

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