死ぬ義務50

「もう人間ではなくなった瞬間」。これはまた奇妙で、かなり驚くべき言い回しだ。シェリー・ケーガン 私は、驚かない。病院に行くと、管になって、生きている人がいる。それは、もう人間ではない物体である。 ただの、モノである。だが、これが、世間の反感を買う。その家族たちには、管でも、生きていることが重要らしい。 要するに、拘りと、愛着である。それらは、単なる、生きている側の、欲望である。 いずれは…

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死ぬ義務49

幸い、人格説は二元論者でさえ受け容れられる。けっきょく、仮に魂というものが存在するとしても、将来存在する誰かが私であるかどうかを決める決定的な問題は、その人が私の魂を持っているかどうかではなく、私の人格(同じ信念や欲望など)を持っているかどうかだからだ。同様に、人格説は物理主義者にも受け容れられる。特定の人格を持った人が誰か存在することの基盤は、特定の形で機能する身体があれば存在することだとして…

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死ぬ義務48

二元論者によれば、人間は身体(生物学者が研究できる物体)と、何か別のもの、すなわち心との組み合わせであるという。身体はもちろん、お馴染みのもので、肉と血、骨と筋肉の塊だ。だが、二元論者によれば、心は何か別物、何か物質的でないものであり、断じて有形物ではない。(原子からはできていない)のだそうだ。そして、心とは魂だ。あるいは魂に収まっている。あるいは、魂を拠り所としている。シェリー・ケーガン 上…

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