死ぬ義務51

いずれにしても、活動停止状態のケースをどう分類するのが最善かという疑問を別とすれば、いったん物理主義者になった場合には、死には格別深遠なところも謎めいたところもないように見える。健全な人間の身体は、さまざまな形で機能できる。低次の適切なB機能が実行されている(あるいは、実行されうる、と言った方が良いかもしれない)限り、身体は生きている。もちろん、万事順調なら、身体はもっと高次の認知機能であるP機…

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死ぬ義務50

「もう人間ではなくなった瞬間」。これはまた奇妙で、かなり驚くべき言い回しだ。シェリー・ケーガン 私は、驚かない。病院に行くと、管になって、生きている人がいる。それは、もう人間ではない物体である。 ただの、モノである。だが、これが、世間の反感を買う。その家族たちには、管でも、生きていることが重要らしい。 要するに、拘りと、愛着である。それらは、単なる、生きている側の、欲望である。 いずれは…

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死ぬ義務49

幸い、人格説は二元論者でさえ受け容れられる。けっきょく、仮に魂というものが存在するとしても、将来存在する誰かが私であるかどうかを決める決定的な問題は、その人が私の魂を持っているかどうかではなく、私の人格(同じ信念や欲望など)を持っているかどうかだからだ。同様に、人格説は物理主義者にも受け容れられる。特定の人格を持った人が誰か存在することの基盤は、特定の形で機能する身体があれば存在することだとして…

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