死ぬ義務48

二元論者によれば、人間は身体(生物学者が研究できる物体)と、何か別のもの、すなわち心との組み合わせであるという。身体はもちろん、お馴染みのもので、肉と血、骨と筋肉の塊だ。だが、二元論者によれば、心は何か別物、何か物質的でないものであり、断じて有形物ではない。(原子からはできていない)のだそうだ。そして、心とは魂だ。あるいは魂に収まっている。あるいは、魂を拠り所としている。シェリー・ケーガン 上…

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死ぬ義務47

ここでその難問の一つを紹介し、それがどのようなものか、手早く感じをつかんでもらおう。仮に、私は死後、存在しなくなるとしよう。その場合、じっくり考えてみると、死が私にとってどうして悪いものでありうるか、わからなくなってしまう。なにしろ、死んでしまった私にとって、死が悪いものであることなどありえないように思えるからだ。シェリー・ケーガン 死ぬと、何もないと言う人にとっては、当然のことだろう。死んだ…

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死ぬ義務46

さて、尊厳死、安楽死についての、倫理学的な考察を、一度止めて、軽い問題のような、哲学の話にする。 書いている私も、読む人も、倫理学的考察では、疲れる、飽きる。 どうしたって、終わらないエッセイである。延々と書き続けることになる。 アメリカ、イェール大学で23年の連続講義で有名な、「死」とは何か、を書いた、シェリー・ケーガン氏の、論文である。 その、日本縮約版を読む。 実に、饒舌である。…

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