国を愛して何が悪い250

今、雪舟を見ている。 禅の自然観は一見「汎神論」のようにみえる。・・・ 森羅万象、すべての自然裡に仏音を聞き、仏体を感受するというこの境地に入れば、絵筆を握ること即ちそのまま仏道に参入することと解される。私の言う「密教型思考」がここに生じやすい無拘束性を戒めたのはやはり道元であった。亀井 ここで注意すべきは、仏音とか、仏体を甘受するという言葉である。これは、私の言い方をすれば、妄想である。…

続きを読む

国を愛して何が悪い249

戒律の厳守を命ずる仏道修行のうちにあって、戒律を守れなかったならどうなるか。二百年前に法然の提出した問題である。一休は禅の内に在って、この法然の問いに直面したのである。亀井 現代文は私 私から言えば、戒律も、方便であると言う。一体、その戒律というものは、何処からのものか・・・ 誰が、その戒律を創り上げたかである。仏陀が、戒律を作ったのではない。仏陀以後の、弟子たちが、作り挙げた。更に、その後…

続きを読む

国を愛して何が悪い248

亀井勝一郎の説く、密教型思考により、室町の五山禅林に、どのような影響を与えたのか。 それは、とんでもない頽廃である。 三教一致、つまり、道教、儒教、仏教が一致するという、考え方である。また、儒仏不二、つまり、儒教と仏教の同一性である。 それが、思想上での、脆弱さだと、亀井が言う。 何でも、受け入れればよいと言うものではない。 禅僧のなかから儒者となるものがあらわれ、あわせて漢詩文への耽…

続きを読む