死ぬ義務59

さて、次に、安楽死の変形した、放棄死について書く。 矢張り、宮川氏の論説は、同じ事の繰り返しが多いので、その中の、放棄死の倫理学的評価から、取る。 弱者の生命はその生命としての尊厳ゆえに、それにふさわしく取扱われねばならず、従ってその保全、保持のために必要な場合、他の諸価値が犠牲にされることはやむをえない。・・・だが個々の人間生命の価値は無限ではなく、従ってその尊重の要求には限度がある。・・…

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死ぬ義務58

それでは、厭苦死が、倫理的に認められる場合とは、何か、どういう状態かということを問う。と、共に、宮川氏の、論説を批判する。 そもそも人間の生命は絶対的価値ではないのだ。宮川俊行 何故、このようなことが、言えるのか・・・それは、根本に、キリスト教神学があるからだ。 厭苦死拒否は無限度の主張ではありえない。従って現実においては、それ自体としては好ましくない厭苦死をやむをえず選びとらねばならぬ場…

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死ぬ義務57

厭苦死は、安楽死の、一つの形である。19世紀以来、論じられてきた、安楽死は、つまり、このことだった。 伝統的な安楽死は、傷病を中心にして見ていた。それは、傷病が、絶望的に不治であるというものである。 不治であり、結局は、死ぬという意識だ。 伝統的な安楽死の概念において、狭義のおいての、生物段階生命においての、末期という意識である。瀕死とは、末期である。 つまり、不治で、回復の見込みのない…

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